りかこの乳がん体験記

 30代でみつけた左乳房のしこり。「“良性”だからそのままにしておいていいよ」。視触診だけで簡単に下された診断。そして私は医師の言う通り放置した。 4年8ヶ月後、大きくなったしこりを切除。“良性”だと思っていたのに、病理検査の結果は悪性――乳がんだった・・・。

2012年07月

危険な体質

暑い...

ここのところの暑さに参り気味...

ぐっすり眠ることもできやしない


私はもともと、あまり汗をかかないタイプ

なので、熱が身体にこもる

身体が熱い...

とにかく浮腫む...

これがけっこうつらかったりする

良いことと言えば、肌がサラッ...としていることくらい


ホルモン剤の服用が終わって、5ヶ月が過ぎて、
ホットフラッシュもほとんど感じないくらい楽にはなったけど...

でも暑い...

身体が熱い...

これって、ちょっと危険な体質...?


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“命”という字

私の知り合いに、『余命(ヨメイ)』を、“ヨミョウ”と言う人がいる

で、ふと思った

“寿命(ジュミョウ)”と言ったり、“余命(ヨメイ)”と言ったり、
同じ“命”なのに色々な読み方するんだなぁ...と...

ほかにも“生命”とか“定命”とかあるけど...

ニホンゴって、ムズカシイ...


で、“命”って字を、改めて考えてみた

“人”の下に“一”
さらにその下に...“叩く”...???

『“命”って、そんなに怖い意味があったの...?』

なんて思っていたら、全然違ってた

“命”という字は、“口”と“令”からできてるらしい

『え...? そこで分けるの...?』

そんな疑問も拭いきれないけど...


簡単に言うと、“神からの声”らしい

『“生きなさい”って、神様からの“命令”』なんだって――


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「もし、私に何かあったら...」

「時間が勿体ない」――

それは、私の口癖
実は、乳がんがわかる前からのもの

いつも時間に追われているかのような、
まるで心に余裕がない生き方だ

そんな私が乳がんになって、

「あぁ、“時間が勿体ない”といつも焦っていたのは
 このことだったんだ...」

なんて、妙に納得したものだ


その後、その口癖にもう一つ加わった言葉がある

それが、
『もし、私に何かあったら...』だ


例えば、突然倒れたら...

  健康保険証...

  かかっている病院すべての診察カード...

  タモキシフェン...

  副作用が出る薬剤名を書いたメモと
  “左乳がん・腋窩リンパ節郭清”と記したメモ...

それらを一つにまとめて、いつもバッグに入れて持ち歩く

今は治療が終わったのでタモキシフェンはないけれど、
『万が一、出先で何かあったら...』のための備え

『“何か”なんて、あるはずがない』

そう思っていても、
持っていないと、なんか安心できない

ある意味、“お守り”になっているのかなぁ...


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いとこの兄ちゃんの死

いとこの兄ちゃんが死んだのは、もうずっと前のこと

7歳の誕生日には、“紅雀”をつがいで送ってくれた兄ちゃん

  『“べにすずめ”という鳥です
   可愛がってください

   誕生日、おめでとう』

ちょっと角ばった字で書かれたバースデーカードが入ってた


中学生になった時は、腕時計をプレゼントしてくれた兄ちゃん

人が考えもしないようなことをして、いつも驚かせてくれた

そんなお洒落で繊細で、芸術肌の兄ちゃんは、
やっぱり芸術家のお父さんの血を引いていたんだね

そんな兄ちゃんが「亡くなった」と、ある日、突然連絡が入った

それは、私がまだ“乳がん”だということを知らない、ずっと前のこと

...自殺だった

あの兄ちゃんが自殺なんて、考えられなかった

どうやら、うつ状態だったらしかった


数年後、もう一人のいとこの兄ちゃんも死んだ

その時も、まだ私は“乳がん”に気づいていない時

先に死んだ兄ちゃんの後を追うかのように、彼もまた自殺した

うつ状態だった

当時で言うところの“ハンサム”で、
子供ながらに憧れていた兄ちゃんだった


ふたりの兄ちゃんは優しかった

私がまだ、こ~んなに小さかった頃から
「りか...」「りか...」って可愛がってくれた


「何も死ななくても...」

そういう母に、私は何も言えなかった

私は中学1年の頃から自殺願望を抱いて生きてきた人間
でも母は、「一度も“死にたい”なんて思ったことがない」ひと

その溝は、決して埋まることはない
分かり合えることはない


兄ちゃんたちがやったことは、いいことじゃないのかもしれない

でも、死の道を択ばざるを得なかった兄ちゃんたちのそのつらさは
誰にも計り知れない


もし兄ちゃんたちが生きていたら...

りかが乳がんだと兄ちゃんたちが知ったら...

どんな言葉をりかにくれただろう――


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葛 藤

自分の想いをブログにぶつけたい

でも、書いてしまったら、
乳がん1年生や、告知を受けたばかりの人に衝撃を与えてしまうだろう

そして何より、外野からの冷ややかな声も聞こえてきそうな気がした


『でも、これって、私のブログだよね? 何書いたって、いいじゃん』

心の変遷を書き綴っていきたい気持ちと、
公開されているという現実――

その狭間で揺れ動くココロ...


  病気のことなんて、みんな知ってるよ
  だから私のブログくらいじゃ、みんな驚かないよ

  それより、乳がん患者の本音聴けていいんじゃない?
  キレイごと並べられるより、よっぽどいい

  「みんな同じ思いなんだ...」って、
  もしかしたら勇気もらえる人もいるかもしれないし...

  でも、これって、確実に“後ろ向き”と捉えられるよね――


この数日、そんな葛藤の中にいた

いや、正直、
ブログを書くという作業は、日々、そんな思いとの闘いでもある



ここのところ、実は、亡くなってしまった方のことを回想していた
がんサロンに何度か参加されていた、男性のがん患者さんだ

体験記を出版した時の、
新聞や地方紙に載った私の記事を大切にファイルしてくれていたのだ

『どんな思いで記事を切り抜いてくれていたんだろう...』

そう想像すると、胸が熱い


その時、彼は、確かにそこに生きていたのだ――


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※遅くなってしまったけど、
  みなさんにコメントの返事させていただきました。

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りかこプロフィール

 
★2009年5月より
医療機関開催“がんサロン”発行による『がんサロン通信』にて、体験記・エッセイ執筆

★2010年9月
市広報にて体験記掲載

★2011年8月31日
乳がん体験記『4分の3の乳房(ちぶさ)』書籍自費出版

★2012年1月21日
講演『乳がん闘病記 ~「ありがとう」と「感謝」の気持ちに至るまで~』

★2012年4月5日
FMオホーツク『乳がんについて』FPとの対談

★2012年4月
キーストーンアライアンス『百年シナリオ通信』記事掲載

★2013年6月より
医療サイト『ドクターズガイド』、ブログ掲載

★2016年9月14日
フジテレビ『めざましテレビ ~がんの見落とし~』ブログ紹介・インタビュー放送

★2020年3月
一般社団法人全国がん患者団体連合会『がん教育外部講師講座』修了(北海道教育委員会にがん教育外部講師として登録)

★2021年10月
『がん予防功労者表彰』(道・市・健康づくり財団・対がん協会4社共催)

★2023年5月
北海道がん患者連合会『がん教育講師派遣養成研修会』終了

★その他
講演、ピンクリボン運動、ピアサポーターとして活動中

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★国家資格
1994年10月、調理師免許取得(食と健康を考える乳がん経験者)

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★子ども虐待防止『オレンジリボン運動』サポーター

メッセージはこちらへ
乳がん履歴
★2002年3月3日(日)
 左乳房にしこりをみつける  

★2002年3月4日(月)
 視触診の結果“良性”と診断

★2006年11月8日(水)
 左乳房のしこり再受診  

★2006年11月15日(水)
 左乳房のしこり一部切除
  (外科的生検)

★2006年11月28日(火)
 乳がん告知      

★2007年1月11日(木)
 左乳がん手術

★2008年7月8日(火)
 局所再発の疑いで、
 細胞診・組織診(結果は良性)

★2009年2月17日(火)
 対側(右)乳がんの疑い
 (前年からしこりあり)経過観察

★2010年2月16日(火)
 右乳房細胞診(結果は良性)
手術・治療の経緯
★がん細胞の種類(しこり3つ)
 ・明細胞がん(クリアセル)
  (化学療法・放射線が効かない稀ながん細胞)
 ・非浸潤性乳管がん

 ・核グレード 2
 ・ER 90%
 ・PgR 10%
 ・HER2 (-)

★術 式
 ・腋窩リンパ節郭清
 ・乳房扇状部分切除(4分の1強切除)

★治 療
 ・放射線23回照射
 ・LH-RHアゴニスト製剤、
  4週間毎、2年間(25回)投与
 ・抗エストロゲン剤(クエン酸タモキシフェン)、
  5年服用
その他の病歴
★2006年5月
 子宮筋腫(漿膜下筋腫)核出術(10㎝の開腹手術)
  ・10cmの筋腫  1個
  ・8cmの筋腫   1個
  ・2~3cmの筋腫 4個

★2023年7月18日
 ・臼蓋形成不全発覚(先天性)
 ・変形性股関節症発症(両足)
母の甲状腺がん(乳頭がん・転移性がん)
★2006年11月(私の乳がん告知の約2週間前)
 甲状腺がん告知

★2007年1月(私の乳がん手術の2週間後)
 甲状腺摘出手術・頸部リンパ節郭清

★2007年5月
 術後療法(RI治療・1回)
  通常2~3回の治療が必要なところ、
  1回の治療で身体の中にがんがないことが
  確認される

★2009年5月
 頸部再発(切除手術を受ける)

★2012年5月
 肺転移確認

★2015年5月
 小脳転移確認

★2015年7月18日
 永眠

  ※再発後の治療法・治療薬なし
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 お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

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≪2015年9月2日より、コメント欄を閉鎖させていただいております≫

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≪2016年12月3日分より、コメント欄を閉鎖させていただいています≫


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≪ランダムで開放しています≫


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