「どうして割ったの!?」
と、親は叱る
でも躾では、
『“割ったことより、割ったお皿をどうするか”を子どもに考えさせる』
そう聞いたことがある――
「どうして私が...?」
がんになった人のほとんどがそう思うらしい
が、私は違った
「やっぱり」とか、「当然」とか、
「こんな人生送ってきた私に相応しい」とか、妙に納得した記憶がある
ただ、4年8ヶ月放置されたことだけは、唯一悔やまれた
当時の主治医に、
「今さら“がん”って言われても...」
そうぼやいたこともあった
そんな私に主治医は言った
「前のこと言っても仕方がないから、これからのことを考えましょう」と...
注) がんを見落とした医師と主治医は別人
わかってはいる
頭では理解している
どう足掻いても、“がん”になってしまったことは取り消せはしない
でも、そう簡単に割り切ることはできない
私の...自分の“命”が懸かっているのだ
『命を救うはずの医師の手によって、命を縮められた』――
そんな思いは拭えなかった
でも“人間”って、上手くできているイキモノだと思う
ある程度落ち込んだら、次の一歩を踏み出せるようになっている
いくら泣いても、前を向いて進めるようにできている
決して同じ場所に留まってはいない
時々、「どうして私、“がん”になったんだろう...」
そう振り返ることもあるだろう
それでもいいと私は思う
なぜなら、それは、今、前に進んでいる証だから
振り返ることで、心の整理ができるなら、
過去の自分と会話してみるのも大切な作業だと思う――
ご心配おかけしました
先ほどから復調しつつあります
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