りかこの乳がん体験記

 30代でみつけた左乳房のしこり。「“良性”だからそのままにしておいていいよ」。視触診だけで簡単に下された診断。そして私は医師の言う通り放置した。 4年8ヶ月後、大きくなったしこりを切除。“良性”だと思っていたのに、病理検査の結果は悪性――乳がんだった・・・。

2013年09月

“今”だから、わかること

この病気になるまでは、
当然のことながら“乳がん”という病気に関してはまるで無知

がん告知はある日突然やってくる

それからだ
病気のことをあれこれ調べ始めるのは...


私が乳がん告知を受けたのは、
治療を受けた現在の病院とは違う医療機関

「“悪性”だね。“乳がん”ということだね」

“良性”だと診断されて4年8ヶ月放置していたしこりは、
外科的生検の結果、“悪性”だった

あまりの衝撃に、医師から説明を受けている間、
私は一言も発することができなかった

意に反して流れる涙を、ただ拭うだけだった


「抗がん剤とかするんですか?」

『がん=抗がん剤』

その時の私の知識はそれくらいなもの

抗がん剤の大きな副作用は、“吐き気”というイメージ
そして、一番の不安は、女性には特につらい脱毛だ

それは、絞り出すように、私がやっと発した一言だった


「いや、それはないよ」――


その時、その医師が、
なぜ「抗がん剤治療はしない」と言い切ったのか――

乳房の切除術と同時に行われる、
腋窩リンパ節郭清の病理結果次第によっては...

いわゆる、リンパ節に転移が認められた場合、
抗がん剤は免れない

どう考えてもあの段階で
抗がん剤治療をするかしないかの判断はできないはず

今となれば、
「“抗がん剤の効かないがん細胞”だからなのか...」

と、想像もつく


すぐに現在の病院を紹介され、全身の検査を受けるも、
やはり状況は最悪

病期でいえば、最終ステージだ
治療は、抗がん剤を使った化学療法がセオリー

が、その状況では、
さすがに主治医も「抗がん剤は効かない」とは言えないだろう

それは即ち、“余命宣告”を突きつけることになる

まず提案されたのは、抗がん剤治療のファーストライン

「もし、これが効いて、腫瘍が小さくなったら――」

きっと主治医も、一か八かの選択だったのかもしれない


その当時は何もわからずに、今日まで進んできた

調べれば調べるほどに、付いてゆく知識

それと同時に、育ってゆく大きな不安...


通り過ぎた“今”だからこそ、きっと様々な想いがここにある


“再発しないこと”

今はただ、それを願うだけである――



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★しこり発見から治療までの経緯は⇒
こちら

“治療の選択肢がなくなる”ということ

私の左乳房にあった複数個のしこり

そこから見つかったのは、複数の、種類の違うがん細胞

その一つは、名前こそ出してはいないが、
乳がんにしては稀ながん細胞であることは、ここに何度も綴ってきた

そして、その症例がみつからないこと、
ほかの部位での症例では、抗がん剤が効かないことも
何度も何度も記してきた

術後の放射線照射も施したが、
実のところ、その効果も定かではない

せめてもの救いは、ホルモン治療が有効なタイプだったことだ

が、それも、どの程度の効果があるのかは、
今となっては知る由もない


“がん”という病になると、ほとんどの人が考えるであろう“再発”

私も御多分に洩れず、その中の一人だ


  ~そんなこと、今から考えてどうするんですか

    再発したときに考えましょう~


そんなコメントをいただいたことがある

もちろん、嫌がらせのコメントである

昨日のコメントもそうだが、
病状も知らないのに、簡単に発言してもらいたくはない


万が一、再発したとき――

そのとき、私に治療の選択肢はあるのだろうか...

いや、施せる治療自体、存在するのだろうか...


昨日の市民公開講座『“緩和医療”を考える』を聴講しながら、
そんな思いが強く脳裏を横切った――



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市民公開講座 『“緩和医療”について考える』

今日は、私が通院している病院主催の公開講座があった

講座の内容は、

  『“緩和医療”について考える』


“がん”と告知された時、
まず脳裏を過ぎるのは“いつまで生きられるのか”ということだ

人の死亡率は100%

人は必ずいつか死ぬ

でも、“がん”と知らされると、その意味合いは変わってくる


緩和ケアの講演などを聴講すると、
いつもその現実が心に重くのしかかる

“死”を目の前にした時の、自分を想像してしまうのだ

治療をやめる勇気...

そのとき、残された短い時間の中で何を想うのか...

そんな中で、生きる意味や価値を見い出し、
希望を抱くことなどできるのだろうか...


今日の講座で何度か出てきた“生き抜く”という言葉

“後悔のない生き方をしたい”とか、
“充実した人生を送りたい”などということは
漠然と思ってはきたが...

“生き抜く”――

考えさせられる言葉だ


私らしく、最後まで生き抜いたとき、
そこには“究極の死”が待っているのだろうか――



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男らしい人参

もう、こうなったらヤケクソだーーー!!

   男らしい人参

だって、ボク、人参だもの...

モザイクは要らないですよね

ちなみに画像をクリックすると、大きくなるよ



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萎える。

「決心した」と言いながらも、
心の中は葛藤で埋め尽くされている

耳にしたくない情報を知ってしまうかもしれないことが、
今の一番の懸念材料でもある


「何から書けばいいのか...」と、ずっと思い悩んできた

書いては消し...書いては消し...

そんなことを、もう何度繰り返したことだろう


そんなこんなで時間を費やし、
気がつけば、嫌がらせのコメントだ

  私のがん細胞の何に期待を寄せているのか

  私の病気の何に期待をしているのか

  人の病気をなんだと思っているのか――

こんなこともあろうかと、
コメントを控えていただくようお願いをしたのに、
やはりムダだったようだ

まぁ、ここに私の真実を記したとしても、

「なーんだ、そんなこと? 期待外れ...」

などと言われるのは、火を見るより明らかである


これは、真面目な病気の話である

決しておちょくってもらいたくはない、現実なのだ――



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りかこプロフィール

 
★2009年5月より
医療機関開催“がんサロン”発行による『がんサロン通信』にて、体験記・エッセイ執筆

★2010年9月
市広報にて体験記掲載

★2011年8月31日
乳がん体験記『4分の3の乳房(ちぶさ)』書籍自費出版

★2012年1月21日
講演『乳がん闘病記 ~「ありがとう」と「感謝」の気持ちに至るまで~』

★2012年4月5日
FMオホーツク『乳がんについて』FPとの対談

★2012年4月
キーストーンアライアンス『百年シナリオ通信』記事掲載

★2013年6月より
医療サイト『ドクターズガイド』、ブログ掲載

★2016年9月14日
フジテレビ『めざましテレビ ~がんの見落とし~』ブログ紹介・インタビュー放送

★2020年3月
一般社団法人全国がん患者団体連合会『がん教育外部講師講座』修了(北海道教育委員会にがん教育外部講師として登録)

★2021年10月
『がん予防功労者表彰』(道・市・健康づくり財団・対がん協会4社共催)

★2023年5月
北海道がん患者連合会『がん教育講師派遣養成研修会』終了

★その他
講演、ピンクリボン運動、ピアサポーターとして活動中

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★国家資格
1994年10月、調理師免許取得(食と健康を考える乳がん経験者)

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★子ども虐待防止『オレンジリボン運動』サポーター

メッセージはこちらへ
乳がん履歴
★2002年3月3日(日)
 左乳房にしこりをみつける  

★2002年3月4日(月)
 視触診の結果“良性”と診断

★2006年11月8日(水)
 左乳房のしこり再受診  

★2006年11月15日(水)
 左乳房のしこり一部切除
  (外科的生検)

★2006年11月28日(火)
 乳がん告知      

★2007年1月11日(木)
 左乳がん手術

★2008年7月8日(火)
 局所再発の疑いで、
 細胞診・組織診(結果は良性)

★2009年2月17日(火)
 対側(右)乳がんの疑い
 (前年からしこりあり)経過観察

★2010年2月16日(火)
 右乳房細胞診(結果は良性)
手術・治療の経緯
★がん細胞の種類(しこり3つ)
 ・明細胞がん(クリアセル)
  (化学療法・放射線が効かない稀ながん細胞)
 ・非浸潤性乳管がん

 ・核グレード 2
 ・ER 90%
 ・PgR 10%
 ・HER2 (-)

★術 式
 ・腋窩リンパ節郭清
 ・乳房扇状部分切除(4分の1強切除)

★治 療
 ・放射線23回照射
 ・LH-RHアゴニスト製剤、
  4週間毎、2年間(25回)投与
 ・抗エストロゲン剤(クエン酸タモキシフェン)、
  5年服用
その他の病歴
★2006年5月
 子宮筋腫(漿膜下筋腫)核出術(10㎝の開腹手術)
  ・10cmの筋腫  1個
  ・8cmの筋腫   1個
  ・2~3cmの筋腫 4個

★2023年7月18日
 ・臼蓋形成不全発覚(先天性)
 ・変形性股関節症発症(両足)
母の甲状腺がん(乳頭がん・転移性がん)
★2006年11月(私の乳がん告知の約2週間前)
 甲状腺がん告知

★2007年1月(私の乳がん手術の2週間後)
 甲状腺摘出手術・頸部リンパ節郭清

★2007年5月
 術後療法(RI治療・1回)
  通常2~3回の治療が必要なところ、
  1回の治療で身体の中にがんがないことが
  確認される

★2009年5月
 頸部再発(切除手術を受ける)

★2012年5月
 肺転移確認

★2015年5月
 小脳転移確認

★2015年7月18日
 永眠

  ※再発後の治療法・治療薬なし
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★また、2014年5月22日より、スマートフォンからのコメント投稿による誤送信を防ぐため、画像認証制を取り入れさせていただきました。認証英数字は“半角”での入力をお願いいたします。
 お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

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≪2015年9月2日より、コメント欄を閉鎖させていただいております≫

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≪2016年11月2日分より、コメント欄を開放しております≫

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