りかこの乳がん体験記

 30代でみつけた左乳房のしこり。「“良性”だからそのままにしておいていいよ」。視触診だけで簡単に下された診断。そして私は医師の言う通り放置した。 4年8ヶ月後、大きくなったしこりを切除。“良性”だと思っていたのに、病理検査の結果は悪性――乳がんだった・・・。

2015年08月

久し振りに、自分のがん細胞を調べてみる

前回、はじめてがんサロンに参加された方で、
乳がんで、“珍しいがん細胞”という方がいらっしゃった

なんでも、学会に出したらしい

私も当時、主治医に、
「学会に出してもいいくらい珍しい」と言われたが、
おそらく出してはいないだろう

“その“珍しいがん細胞”って、
 私と同じがん細胞なのだろうか...”

と、気になりながら、なかなか聞けない


...ということで、
久し振りに私のがん細胞を調べてみた

おそらく最後に調べてから1年は軽く経過している

私が乳がん告知を受けてから8年9ヶ月

「もしかしたら、この細胞に関して、
 何か解明されたことがあるかもしれない...」

が、やはり私のがん細胞に関しての文献は、
何ひとつ見つからない

あるのは、ほかの部位のがんのことだけ

ただわかったのは、
“このがん細胞は、進行が遅い”ということ

4年8ヶ月も放っておいたわりには
思ったほど進行していなかったのは、
そういうことだったらしい

まぁ、その分、15年後、20年後と、
しっかり見ていかなければならない訳だ


難病の治療法がなかなか開発されないのと同様に、
このがん細胞の治療法が確立される日が来ることも
ないのだろうか――



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久し振りの出番

久し振りの出番、扇風機――

  扇風機

押し入れにしまわなくてよかった...



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「長生きするよ」

少し前になるが、
日本人の平均寿命が発表されていた

男性 80.50歳
女性 86.83歳――

どちらも過去最高らしい


母はその年齢には届かなかった

父はなんとか超えそうだ

「86か...」

そんなに生きられる気がしない


私が二十歳のとき、
手相に詳しい人に見てもらったことがある

特に“占い師”という訳ではなく、
単に、“詳しい”というだけの人だ

「“普通”の手相だね~」

今なら“普通”で十分だと思えるが、
二十歳の私には、
自分の人生に何か物足りなさを感じていた

そして、見てもらったあと、最後に、

「長生きするよ」

と、取って付けたような一言

その“間”と、あまりの流れのない中での言葉に、
大きな違和感を抱いたのを今でも覚えている


それから十数年後、乳房にしこりをみつけたとき、
「長生きするよ」の言葉が頭に浮かんだ

『あの時の取って付けたような一言は、
 やっぱり取って付けたに過ぎなかったんだ...』

そう思った


最近、思う

「“寿命”って、なんなのだろう」と...

若いときはただ漠然と、
「長生きしたい」なんて思ってた

でも今は、そこまでは考えてはいない

これまでたくさんの死に触れ、
自分自身も死に関わる病になり、
“死”というものが身近に感じられるようになった

そのたび、
“死は儚いもの”だと覚った


そういう意味では、
母の死は大きかったのかもしれない

母と私は部位こそ違ったが、同じ“がん”という括り

しかも、がんがわかったのも同時期

がん発見当時の私の余命は2年で、
母は術後の治療で、ほぼ完治状態だった

が、手術から5年後、
母は転移し、私は何事もなく治療を終えた

そして先月、
当時、“完治状態”だった母が先に逝った――


「“がん”って、本当にわからない病だ」と、
つくづく思う



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簡易ながん検査は――

ここ数年、
“血液、尿、唾液などでがんがわかる”といった、
簡易ながん検査の開発が進んでいる

“がんの検査”というと
私たちも嫌というほど経験しているが、
時間がかかったり、検査費用がかかったり、
また、苦痛を伴ったりする

がんの検診率がなかなか上がらないのも頷ける

時間と費用のかからない楽な検査法は、
きっと誰もが望んでいるのではないだろうか


例えば、胃の調子が悪いと、
「単なる胃炎だろうか。
 もしかしたら、胃がんでは...」と不安になり、
胃カメラの検査をする

例えば婦人科

「子宮頸がんの啓発が盛んに行われている。
 自分も検査受けてみようか...」と、
婦人科でがん検査をする

が、簡易にできるがん検査は、
万が一がんが発見された場合、
おそらく今の段階では、
まだ部位までは特定できないだろう

ただ漠然と、
“がんの可能性があります”という
結果を受ける気持ちってどうなのだろう

簡単に検査ができる分、
“がん”という病気の重さをとのギャップが
そこにあるような気がする

もちろん、検査を受ける以上、
それなりの覚悟で臨んでいるのだろうが...


何はともあれ、苦痛なく検査ができることは、
喜ばしいことである

と同時に、早期の早期であっても
的確にがんがみつけられる検査を期待したい――



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六七日と母子手帳

今日は母の六七日(むなのか)
1週間後、ようやく仏になる

今はまだ、そのあたりを彷徨っているのかな

母が亡くなってしばらくの間、
時折、家の中で物音がしていたのは
気のせいだろうか――


そういえば、昔、実家の奥の部屋の引き出しに、
私を産んだときの母子手帳があったっけ

母の形見らしきものが何ひとつない

まだ残っていたら、持って帰ろう...


昔、母子手帳をみつけたあの引き出しを、
いきなり開けるのがためらわれた

「もし、もうなくなっていたら...」

周りの引き出しからひとつひとつ開けてみる

「どこにもない」

そして最後に残った引き出し

「もし、ここになかったら――」

母子手帳

そして、最後の引き出しに手をかける

引き出しを開けた瞬間、母子手帳が見えた

昔と同じ状態で残されている

なんだか宝探しをしているみたいでドキドキだ


産まれた時間は、午前9時30分

体重 2850g

身長、胸囲、頭囲は記載されていない


昔、母に、、
私が産まれた時間を聞いたことがある

でもなぜか、何度聞いても覚えられなかった


母子手帳を持った経験がない私には、
中を見ても、正直、よくわからない

が、これが私が母のお腹の中で10ヶ月間育ち、
この世に産まれてきた証なんだ――



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りかこプロフィール

 
★2009年5月より
医療機関開催“がんサロン”発行による『がんサロン通信』にて、体験記・エッセイ執筆

★2010年9月
市広報にて体験記掲載

★2011年8月31日
乳がん体験記『4分の3の乳房(ちぶさ)』書籍自費出版

★2012年1月21日
講演『乳がん闘病記 ~「ありがとう」と「感謝」の気持ちに至るまで~』

★2012年4月5日
FMオホーツク『乳がんについて』FPとの対談

★2012年4月
キーストーンアライアンス『百年シナリオ通信』記事掲載

★2013年6月より
医療サイト『ドクターズガイド』、ブログ掲載

★2016年9月14日
フジテレビ『めざましテレビ ~がんの見落とし~』ブログ紹介・インタビュー放送

★2020年3月
一般社団法人全国がん患者団体連合会『がん教育外部講師講座』修了(北海道教育委員会にがん教育外部講師として登録)

★2021年10月
『がん予防功労者表彰』(道・市・健康づくり財団・対がん協会4社共催)

★2023年5月
北海道がん患者連合会『がん教育講師派遣養成研修会』終了

★その他
講演、ピンクリボン運動、ピアサポーターとして活動中

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★国家資格
1994年10月、調理師免許取得(食と健康を考える乳がん経験者)

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★子ども虐待防止『オレンジリボン運動』サポーター

メッセージはこちらへ
乳がん履歴
★2002年3月3日(日)
 左乳房にしこりをみつける  

★2002年3月4日(月)
 視触診の結果“良性”と診断

★2006年11月8日(水)
 左乳房のしこり再受診  

★2006年11月15日(水)
 左乳房のしこり一部切除
  (外科的生検)

★2006年11月28日(火)
 乳がん告知      

★2007年1月11日(木)
 左乳がん手術

★2008年7月8日(火)
 局所再発の疑いで、
 細胞診・組織診(結果は良性)

★2009年2月17日(火)
 対側(右)乳がんの疑い
 (前年からしこりあり)経過観察

★2010年2月16日(火)
 右乳房細胞診(結果は良性)
手術・治療の経緯
★がん細胞の種類(しこり3つ)
 ・明細胞がん(クリアセル)
  (化学療法・放射線が効かない稀ながん細胞)
 ・非浸潤性乳管がん

 ・核グレード 2
 ・ER 90%
 ・PgR 10%
 ・HER2 (-)

★術 式
 ・腋窩リンパ節郭清
 ・乳房扇状部分切除(4分の1強切除)

★治 療
 ・放射線23回照射
 ・LH-RHアゴニスト製剤、
  4週間毎、2年間(25回)投与
 ・抗エストロゲン剤(クエン酸タモキシフェン)、
  5年服用
その他の病歴
★2006年5月
 子宮筋腫(漿膜下筋腫)核出術(10㎝の開腹手術)
  ・10cmの筋腫  1個
  ・8cmの筋腫   1個
  ・2~3cmの筋腫 4個

★2023年7月18日
 ・臼蓋形成不全発覚(先天性)
 ・変形性股関節症発症(両足)
母の甲状腺がん(乳頭がん・転移性がん)
★2006年11月(私の乳がん告知の約2週間前)
 甲状腺がん告知

★2007年1月(私の乳がん手術の2週間後)
 甲状腺摘出手術・頸部リンパ節郭清

★2007年5月
 術後療法(RI治療・1回)
  通常2~3回の治療が必要なところ、
  1回の治療で身体の中にがんがないことが
  確認される

★2009年5月
 頸部再発(切除手術を受ける)

★2012年5月
 肺転移確認

★2015年5月
 小脳転移確認

★2015年7月18日
 永眠

  ※再発後の治療法・治療薬なし
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★コメント欄は、2013年11月28日より認証制とさせていただきました。
 これまで通り投稿していただけますが、コメントが反映されるまでお時間をいただくこととなります。
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★また、2014年5月22日より、スマートフォンからのコメント投稿による誤送信を防ぐため、画像認証制を取り入れさせていただきました。認証英数字は“半角”での入力をお願いいたします。
 お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

★営利目的だと思われるリンク、また、不当なリンクやコメントは削除させていただいています。また、個人を特定するものや商品名なども、編集・削除させていただく場合があります。

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≪2015年9月2日より、コメント欄を閉鎖させていただいております≫

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≪2016年11月2日分より、コメント欄を開放しております≫

★非公開希望には対応しかねますので、コメントの投稿を控えていただきますようお願いいたします。

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★公開が原則となっています。良識のあるコメントをお願いいたします。

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≪2016年12月3日分より、コメント欄を閉鎖させていただいています≫


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≪ランダムで開放しています≫


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