りかこの乳がん体験記

 30代でみつけた左乳房のしこり。「“良性”だからそのままにしておいていいよ」。視触診だけで簡単に下された診断。そして私は医師の言う通り放置した。 4年8ヶ月後、大きくなったしこりを切除。“良性”だと思っていたのに、病理検査の結果は悪性――乳がんだった・・・。

2019年08月

いじめ ~私の場合~ ②

結局、担任に没収された、
名札止めのピンを返してもらうことなく
私はその中学を卒業した

  安全ピンではなく、
  ちょっとお洒落なピンを
  名札止めとして使っていたことが
  “ボス”には気に食わなかったらしく、
  担任にチクられ、
  校則違反ではないにもかかわらず、
  没収されていた



幼稚園や小学校のときも、
社会人になっても
無視や嫌がらせのようなものはあった

  乳がんになったときも、
  職場で無視をする人はいた


全くなかったのは
高校生のときくらいだろうか

  あ...

  高校のときは
  上級生にやられていたっけ



そして、ここ

このブログでも、
嫌がらせは8年半続いている

  その嫌がらせは
  ネットの世界を飛び越えて、
  実生活にまで及んでいるのは
  過去に記述している



考えれば、
“ボス”が自ら語っていた“嫉妬”という感情

何が気に入らなかったのか、
私には理解できないが、

言えるのは、
『いじめは単純な動機からはじまる』
ということ

“嫉妬”は、ただ単に、
自分が持っていないものを
相手が持っているから...

という理由だけだ



いじめの原因は、
きっとどこにでも落ちている

どんなことでもいい

どんなに小さなことでも理由をつけて
いじめに走る

おそらく当の本人は、
“悪いこと”であることに気づいていないだろう

ただそうやって楽しんでいる、
心の狭い人、

可哀想な人間なのだ

そんな人間に、
私は屈する気はなかった



その数十年後、
こうして乳がんになってしまうわけだが、

それでも...

いや、だからこそ、

「生きることは、素晴らしいこと」

だと感じている


そして、病になったからこそ、

「生きていかなきゃ」

とも感じている


“命”ってやっぱりとっても大切なもので、
とっても尊いもので、

そんなに簡単に
失ってはいけないものだと思う



日常の生活の中で見失っていたこと

乳がんになったことで、
たくさん気づいたことがある

いや、
乳がんが気づかせてくれた



  季節の移り変わりを、
  目で、匂いで、風で、
  感じたことがありますか?


  毎日ごはんが食べられることを
  「ありがたい」と
  思ったことがありますか?


  朝が来ることがあまりにも当たり前すぎて、
  「当たり前」とも
  思ったことがないのではないですか?



やった方は、
なんとも思っていないかもしれない


が、やられた方は、
いつまでも心に傷が残る


でもその分、きっとひとには
優しくなれる心を持てると思う

他人の痛みがわかる人間に
なれると思う


“生きる”って、
とっても大切なこと――



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いじめ ~私の場合~ ①

この1週間、テレビでは、
『子どもの自殺』について多く取り上げている

理由は、
“9月1日に子どもの自殺が多いから”

どうも、
“9月1日”が夏休み明けらしい


私の地域は、夏休みはお盆まで

お盆が終わればすぐに学校がはじまる

なので、“9月1日”の意味が
ピンと来なかったのだ



゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆



私も過去に、
少しだけいじめを受けていた時期がある

そもそも幼稚園、小学校と、
なぜか目をつけられることが多かった

なので、
多少のことは慣れているつもりだった



それは、中学3年のとき

仲良くしていたグループの雰囲気が
ある日突然悪くなった

どうやらそのグループの“ボス”が、
「りかこのことを無視しろ」と
仲間に命令していたようなのだ


それからは、あることないこと、
担任に言いつけられた

職員室にも呼ばれた

が、担任は、
私の言うことを信じてはくれない

それどころか、
そのグループと一緒に
私のいじめに加担するような先生だった


あるときは、
生徒の人数分に満たない掃除用具を
“ボス”がすべて奪い取り、
クラスのみんなに渡し、
私には当たらないようにした

当たらない生徒は、
交代で掃除をすることになっていたが、
当然のことながら、誰も代わってはくれない

それは、
「佐藤さんが掃除をサボってました」と、
先生に告げ口をするための工作だった



体育の授業では“班ノート”があり、
授業終了後、その日の授業の内容の反省を、
班長が書くことになっていた

ボスは私の悪口を書くよう、
班長に指示

が、心優しい班長は書くことができず、
ボスはノートを取り上げ
自分で私の悪口を書いていた

体育の先生(女性)は、
私がいじめに遭っていることを
感じ取っていたのだと思う

が、当時はまだ、
“虐待”という言葉もなければ、
“いじめ”という認識もない

体育の授業があるたび、
班ノートに悪口を書かれていたが、
結局、体育の先生が
私に何か聞いてくることはなかった



それまでは、
その友達グループで食べていたお弁当も、
一人で食べることになった

が、ボスたちは教壇へ上がり、
私が食べているところを真似する

私が何かすれば、
すべて真似された

それから私は、お弁当を食べず、
お昼の休み時間を廊下で過ごすことにした


「一緒に食べよう」

そう言ってくれた友だちもいた

が、
その子たちに迷惑がかかるかもしれないこと

そして、
さらにいじめがひどくなることを危惧し、
私はその優しさを受け入れることをしなかった


決して“料理上手”とは言えない母に、
作ってもらっていたお弁当

そのまま持ち帰り、
家のごみ箱に捨てるとバレてしまう

2階の自分の部屋にこっそりと上がり、
弁当を食べ、
何事もなかったかのように
茶の間へ戻る生活が続いた

そんなことだから、
夕飯など、お腹に入るはずもなかった



両親には、
いじめの事実を話す気は全くなかった

中学2年のとき、
私は同じ学年の男子2人に
少しいたずらをされたことがある

忘れもしない、土曜の午後だった

学校から帰宅後、私はまだ制服のまま

昼食を摂ろうと、
カップ麺にお湯を注ぎ、
3分待っているときだった、
奴らが家にやって来たのは...


そのことを、
当時は仲が良かった“ボス”に話をした

「それは先生に言った方がいいって」

と、言われたが、
私は母に知られるのが嫌で、
先生には言わないようにお願いをした

が、結局、ボスは担任に話した

そして母に知られることになる


母は私のことを
心配してくれるものだと思っていた

が、母の口から出た言葉は、

「あんたにスキがあるから
 そんなことされるんだよ!!」

だった

母にとっては私の心配より、
世間体の方が大事だったらしい

母は激しく落ち込み、
寝込む寸前だった

  私の方が寝込みたいくらいだった


そんなことがあったので、
いじめのことを話す気はさらさらなかった



いじめはどれくらい続いただろう...

あるとき“ボス”の仲間が、
私に手紙を持ってきた

体育の班ノートに私の悪口をかけなかった、
心優しい彼女だ

「またどんな悪口を書いているんだろう...」

そう思うと、
開いて読む気にもならなかった


仕方なく読んでみると、
なんと、それは“謝罪”だった

そこにあった言葉は、

“嫉妬”

「りかちゃんに嫉妬していた」

だった

「これからも友達でいよう」

とも書かれていたが、
こちらの気持ちはそうはいかない


結局ボスは、仲間にも嫌われていた

誰もついていけないほど金遣いが荒く、
 (親のクレジットカードを使っていたようだ)
わがままは有名だった

そんな性格だから、独りになりたくなくて、
力で友達をつなぎとめようとしていたのだろうか



いじめを受けていた期間、
私は一度も
「死にたい」と思ったことはなかった

それは、
“自分は何も悪いことをしていない”から

悪いことをしているのは相手の方

なのに、私が自ら死を選ぶなんて、
あまりにも理不尽すぎる

「絶対、屈しない」

「時間はかかるかもしれないけれど、
 絶対にこの状況から
 抜けられるときが来る」

と――



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奇跡のプチトマト

産地直送、隣町の、山内さんちのプチトマト




2019/08/30 ミニトマト




これ、衝撃的な旨さである


この美味しさは奇跡だ




「あー、生きててよかった...」


とまでは言わないが、

生まれて初めて感じるコクである



  しかも、価格が安いのが

  またありがたい


    大変なんだよね、
    農家のお仕事って...

    ずーっとずーっと、
    美味しくて安全な野菜を
    作っていってほしい



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それが命をつなぐものなら...

きのう、美味しくいただいたお菓子


BlogPaint



甘いものを食べるたび、
思い出すことがある

それは、
末期がんを告知された女性のことだ


彼女は、余命の告知を受けていた

が、本人には告げられず、
家族だけが知っている状態だった

最後の砦である抗がん剤治療も、
副作用が強く、
食欲も湧かず、体重は激減

体力は日に日に衰えていった


そんな中、
唯一、甘いものを欲していた

殊に、
プリンやクリームの入ったパンは
美味しそうに食べていたようだ


が、ご家族は、
甘いものを食べさせていることに
苦しんでいた

それは、ネットに上がっている情報だ


  甘いものはがんに悪い

  甘いものはがんを育てる

  甘いものは、がんの餌――


病気のことを調べれば調べるほど、
そんなことばかりが目に入ってくる


「自分は、
 がんに餌を与えているのだろうか」

「自分が与えてる食べ物は、
 がんを育てているのだろうか」――


そんな罪悪感に苛まれていたそうだ



確かに私も、

『甘いものはがんによくない』

と、聞いたことがある


が、それは、ある程度健康な人が、
過剰に摂取しないように
気をつければいいこと

命の期限が迫っているのなら、

食べられるものがあるのなら、
食べさせてあげた方がいい

「美味しい」と思って食べているのなら、
食べさせてあげればいい


「美味しい」と思えること、
「楽しい」と感じられることは
とても大切だ

その一口で命をつなげられるのなら、
そうしてあげたらいい



プリンを口にして
「美味しい」と言いながら、
やわかな表情を浮かべる彼女

その笑顔を見ている家族の心も、
きっと安らぐに違いない



「あした地球が滅びるとしたら、
 最後に何を食べたい?」

昔、そんな質問があったっけ

その時は本当の意味の“死”なんて
考えてもいなかったが...


『最後に食べたいもの』

か...


今は考えもつかないな――



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「何が一番つらい?」

ホルモン治療中、風邪をひいたことがある

ただでさえ、
ホットフラッシュで暑くなるわ、
まるで氷水が身体の中を
流れているかのように寒くなるわ...

そこに悪寒だ熱発だ、
鼻水は出るし、
喉は腫れるし、咳は出る――


...と、とんでもない状況に陥った

車を持っていない私は自転車を飛ばし、
15分ほどかけて内科へ向かった


...が、
その曜日の外来は、午後から休診

体調が悪い中、
せっかく自転車で来たのに、休診...

病院のドアを叩き割って
突入したい気分だ

泣く泣くそのまま家へ戻り、
翌日、再びその病院へ向かった


乳がんをしてから、婦人科以外では
初めてかかるほかの病院

問診票に既往歴を記入する手が
なんとなく躊躇した

体調が悪い中、
診察まで2時間近く待たされたが、
院内の暑さ、熱、ホットフラッシュ、

そして、

「熱がある人には、
 これをつけてもらいます」

と、
感じの悪い看護師に渡されたマスクで、
さらに暑さが助長する始末


ようやく呼ばれ診察室へ入ると、
そこには、生理的に受けつけられそうにない、
小太りのオタクタイプの医師が座っていた

私はこの数日間に現れた、
風邪と思われる症状をすべて伝えたが、
医師からは
乳がんのことをかなり詳細に質問された


そして、いよいよ診察

オタクな感じの医師は、

「ここ、切ったとこ?」
「ここも切ったところ?」

と、
切り取ったおっぱいに聴診器を当てながら、
やけに聞いてくる


『この病院に来るのは初めて、
 しかも乳がんをしている。
 なぜ女医さんを担当にしてくれなかったのだろう...』

と、受付の男性を少し恨んだ


一通り診察が終わったあと、
医師が聞いてきた

「何が一番つらい?」

『“何が一番つらい”・・・?
 さっき話した症状、全部だよ!!
 鼻水も鼻づまりも、耳が抜けないのも、
 喉の痛みも腫れも、熱も、咳も、
 ぜ・ん・ぶ!!


□■□■□■□■□□■□■□■□■□□■□■□■□■□


ホルモン治療の副作用は
数えきれないほど、
本当に様々な症状が現われる

治療をはじめたばかりの頃、
主治医は、

「(身体)どう?」

と、
いつも副作用のことを心配してくれていた


ホルモン注射の副作用を自覚しはじめたのは、
2回目の投与後...

治療から1か月半くらい経ってからだった

  治療の10日目から、
  “声が出にくくなる”という症状が出ていたが、
  まだホットフラッシュなどの
  強い副作用は出ていなかった


次の外来で、主治医に、

「副作用が出てきた」

と、話すと、

「どんな症状?」

と、聞かれたので、
暑くなることを伝えた


その後、
副作用はどんどん激しくなっていった

身体もそうだが、“うつ”という、
心の状態まで変わっていった

4週間ごとに注射を打ちに行くたび、
主治医は体調を気にしてくれていたが、
あるとき、

「どうだ? 具合悪いか?
 どんなふうに具合悪い?
 なんか具合悪い?」

と、聞いてきた


この、“なんか具合悪い”という言葉が、
私にピッタリと当てはまった

なんとも言えない、
様々な複合的な体調は、

“何が変”
“どこがおかしい”

と、自分でもはっきりと言えない状態


しかも体調は、
例えば、頭が痛くて熱っぽければ、

“頭痛と熱”だけではなく、

そこに、倦怠感が加わったり
吐き気が加わったりする

“1+1=2”ではなく、
“3”にも“4”にも膨らんでいくのだ


「何が一番つらい?」

そう聞かれても、
つらいことがあまりにもたくさんありすぎて
答えられそいうにない

私は、主治医の、

「なんか具合悪い」

という言葉が気に入り、
それからよく使うようになった


その表現は、
私の体調、そのものだったのだ――



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りかこプロフィール

 
★2009年5月より
医療機関開催“がんサロン”発行による『がんサロン通信』にて、体験記・エッセイ執筆

★2010年9月
市広報にて体験記掲載

★2011年8月31日
乳がん体験記『4分の3の乳房(ちぶさ)』書籍自費出版

★2012年1月21日
講演『乳がん闘病記 ~「ありがとう」と「感謝」の気持ちに至るまで~』

★2012年4月5日
FMオホーツク『乳がんについて』FPとの対談

★2012年4月
キーストーンアライアンス『百年シナリオ通信』記事掲載

★2013年6月より
医療サイト『ドクターズガイド』、ブログ掲載

★2016年9月14日
フジテレビ『めざましテレビ ~がんの見落とし~』ブログ紹介・インタビュー放送

★2020年3月
一般社団法人全国がん患者団体連合会『がん教育外部講師講座』修了(北海道教育委員会にがん教育外部講師として登録)

★2021年10月
『がん予防功労者表彰』(道・市・健康づくり財団・対がん協会4社共催)

★2023年5月
北海道がん患者連合会『がん教育講師派遣養成研修会』終了

★その他
講演、ピンクリボン運動、ピアサポーターとして活動中

━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─

★国家資格
1994年10月、調理師免許取得(食と健康を考える乳がん経験者)

━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─

★子ども虐待防止『オレンジリボン運動』サポーター

メッセージはこちらへ
乳がん履歴
★2002年3月3日(日)
 左乳房にしこりをみつける  

★2002年3月4日(月)
 視触診の結果“良性”と診断

★2006年11月8日(水)
 左乳房のしこり再受診  

★2006年11月15日(水)
 左乳房のしこり一部切除
  (外科的生検)

★2006年11月28日(火)
 乳がん告知      

★2007年1月11日(木)
 左乳がん手術

★2008年7月8日(火)
 局所再発の疑いで、
 細胞診・組織診(結果は良性)

★2009年2月17日(火)
 対側(右)乳がんの疑い
 (前年からしこりあり)経過観察

★2010年2月16日(火)
 右乳房細胞診(結果は良性)
手術・治療の経緯
★がん細胞の種類(しこり3つ)
 ・明細胞がん(クリアセル)
  (化学療法・放射線が効かない稀ながん細胞)
 ・非浸潤性乳管がん

 ・核グレード 2
 ・ER 90%
 ・PgR 10%
 ・HER2 (-)

★術 式
 ・腋窩リンパ節郭清
 ・乳房扇状部分切除(4分の1強切除)

★治 療
 ・放射線23回照射
 ・LH-RHアゴニスト製剤、
  4週間毎、2年間(25回)投与
 ・抗エストロゲン剤(クエン酸タモキシフェン)、
  5年服用
その他の病歴
★2006年5月
 子宮筋腫(漿膜下筋腫)核出術(10㎝の開腹手術)
  ・10cmの筋腫  1個
  ・8cmの筋腫   1個
  ・2~3cmの筋腫 4個

★2023年7月18日
 ・臼蓋形成不全発覚(先天性)
 ・変形性股関節症発症(両足)
母の甲状腺がん(乳頭がん・転移性がん)
★2006年11月(私の乳がん告知の約2週間前)
 甲状腺がん告知

★2007年1月(私の乳がん手術の2週間後)
 甲状腺摘出手術・頸部リンパ節郭清

★2007年5月
 術後療法(RI治療・1回)
  通常2~3回の治療が必要なところ、
  1回の治療で身体の中にがんがないことが
  確認される

★2009年5月
 頸部再発(切除手術を受ける)

★2012年5月
 肺転移確認

★2015年5月
 小脳転移確認

★2015年7月18日
 永眠

  ※再発後の治療法・治療薬なし
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子ども虐待防止「オレンジリボン運動」
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 お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

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≪2015年9月2日より、コメント欄を閉鎖させていただいております≫

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