りかこの乳がん体験記

 30代でみつけた左乳房のしこり。「“良性”だからそのままにしておいていいよ」。視触診だけで簡単に下された診断。そして私は医師の言う通り放置した。 4年8ヶ月後、大きくなったしこりを切除。“良性”だと思っていたのに、病理検査の結果は悪性――乳がんだった・・・。

2021年11月

そもそも、コレができなかった。

“乳がん”という病は、
様々な禍根を残す

おっぱいを失い、
治療の副作用に翻弄され、
その体調不良は長く続く

治療によっては髪が抜け、
爪も変色

味覚障害に陥れば、
食欲もなくなる


そこに腋窩リンパ節郭清が加われば、

  ○重い物は持てない・持ってはいけない
  ○腕を締めつける服装は避ける
  ○腕を締めつけるようなアクセサリーも避ける
  ○採血・血圧測定は術側の腕ではしない
  ○虫刺されに気をつける
  ○過度な日焼けをしないように
  ○土いじりはゴム手袋をする
  ○清潔に保つ
  ○保湿をする

...など、
一生注意しなければならないことが増える


いや、それより、なにより、
腕が動かない、
挙げられない、
力が入らない

術後は、腕が90度も上がらない


主治医が術後のリハビリ書に、

『挙上障害』

と、書いていた意味がわかった


“90度しか上がらない腕”というのは、
“わきが開かない”から

なので、この格好ができなかった

    ⇩


2021/11/30 腋窩リンパ節郭清



これができるようになったのは、
術後3~4...いや、5年か...

実は今でも、“普通”にはできない

おっぱいが引っ張られる感覚や痛み、
わきの下のつっぱり感がある

手術をする前と同じには、
きっと戻れないのだと思う

それでもここまでできるようになったのは、
おそらく毎日、
腕のストレッチを続けていたからだと思う



そして、今でもできないことがある

それは“ひじをつく”こと

腋窩リンパ節郭清で感覚のなくなった場所は、

  ○わきの下
  ○おっぱい
  ○鎖骨周辺の皮膚
  ○肩甲骨周辺の皮膚
  ○上腕の皮膚


年月の経過とともに、
感覚が戻ってきた皮膚

が、
ひじの上あたりの皮膚がなかなか戻らない

なので、ひじをつくことや、
ソファに座ったときの
背もたれにひじが当たるのが非常に不快だ


たぶん、こればかりは、
もう治らないと思う

季節の変わり目やこれからの寒い季節、
なんでもないときの、
わきの下や肋骨の痛みもきっと一生もの



「“がん”って、やっぱり大変な病気なんだ」

と、思う


「“乳がんの手術”って、命と引き換えに、
 多くのものを犠牲にするものなんだ...」

と、思う


やっぱり“がん”って、簡単じゃないと思う




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そんな瞬間――。

氷点下0.8度と暖かな朝


これからはじまる極寒の冬


「たまにはこんな日もないとね」――






そんな朝



白々と空が明けてゆくのが観られる季節だ



2021/11/30 朝の空 ①




それは、一日のはじまりを感じられる瞬間


それは、「生きている」と感じられる瞬間


それは、

「今日も朝を迎えられた」と感じられる瞬間






2021/11/30 朝の空 ②




今にも空に溶け込みそうな月が

儚げに浮かんでいる





さ、11月も最終日――





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ひと夜の夢。

「がん」――

やはりそれは、衝撃的な言葉だ

一晩中、涙に暮れ、
ほとんど眠れぬまま朝を迎えた

どれほど、
『夢であってくれたら...』と、
願ったことか...



朝6時

腫れた目のま居間へ下りてゆくと、
居間には灯りがついている

11月の末のこの時間はまだ暗い

母がすでに起きていた

私は腫れあがった顔を見られないよう、
居間を抜けて洗面台へ向かう


「大丈夫かい?」

母の優しい声

『こんな言葉、
 これまで一度もかけられたことなんて
 なかったな...』


「...うん」

振り絞るようにやっと返事をするが、
大丈夫なわけがない


「どうしたの? こんなに早く...」

と、母


「病院、一緒に行く」


母が数日前に受けた、甲状腺がんの告知

この日は紹介状を持って、
私がこれから検査・手術をする病院と同じ病院に
行くことになっていた


「いいよ。
 あんただって、自分のことで大変でしょ」


私は前日、ひとりで病院に行って心細かった

だからきっと、母も心細いはず

だから一緒にいてあげたかった

それに、
ひとりで家にいる気にはなれなかった

不安と悲しみと恐怖に潰されそうだったから



病院の待合室で、母と少し話をした

「私の命はどうでもいいけど、
 あんたが...」

母がそんな言葉を漏らした

驚いた

母は私のことで、
一晩中、泣き明かしてくれていたらしい

やはり“親”とは、そういうものなのか――



昨夜、湯船に浸かりながら、
当時のことを遡っていた

15年も経てば、薄れゆく記憶

が、あのときの感情は、
忘れられるものではない


忘れたい思い

忘れたくない思い

そしてそこには、
決して忘れてはいけない思いがある


それは、伝えてゆくために

同じ病と闘っているひひとたちに、
寄り添ってゆくために――





  今日の午後

  彩雲が観られた



2021/11/29 彩雲 ①



  「なに、この空!!」と、
  思わず口にしてしまうほど美しい



2021/11/29 彩雲 ②



  こんな空を観るのは初めてだ



2021/11/29 彩雲 ③



  今日は朝から
  たくさんの空からの贈り物


  “感動”って、素晴らしい

  “生きてる”って素敵なこと――




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月曜日発――。

氷点下9.8度の空


“10度の壁”を越える日も近い





そんな朝



明けてゆく空...




2021/11/29 朝の空 ①




2021/11/29 朝の空 ②



2021/11/29 朝の空 ③



2021/11/29 朝の空 ④




寒さは厳しくなるが、

日の出まえの

美しい朝を感じられる季節でもある





2021/11/29 朝の空 ⑤




新月に向かう月も神秘的だ





月曜の朝


美しい空に出逢えたことに感謝――





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2つめの誕生日 ~あれから15年――~

きのう、雪が降った

あの日もそうだった


ただ違ったのは、あの日は曇り

が、今日は青空



2021/11/28 乳がん告知日




「“悪性”だね。“乳がん”ということだね」――


おもむろに口を開いた医師

『なに言ってんの?
 4年8か月前、“良性”って言ったじゃん。
 今さら“悪性”ってなんだよ。
 私、もう死ぬの?』



10日前に受けた、
しこり切除の病理検査を聞くために、
クリニックへ行ったのは午前

「(病理)検査の結果が出たので、
 なるべく早く聞きに来てください」

と、
前日に看護師長さんらしき人から
電話をもらっていた


胸騒ぎは収まらなかった

それはここに来るまでの経緯が
あまりにも不審なことが多かったからだ


クリニックへ来てからも、
なかなか呼ばれなかった

新しい患者が訪れ
次々に呼ばれてゆくにもかかわらず、
私は飛ばされているように感じた


結局、診察室へ通されたのは、
受付から1時間以上もあと

「がん」と言われて、
そこまで待たされた意味がわかったような気がした



大きな病院へ紹介状を書いてもらっている間、
私は待合室で泣き通しだった

患者さんはほかにもいる

が、涙が止まらなかった



「佐藤さん!!」

しばらくして看護師長が一通の封筒を手にし、
慌ただしくやってきた

「これをあちらの先生に渡して」


待合室のど真ん中

名前を呼ばれたことで、
私は立ち上がっていた

周囲に目を遣る勇気はなかったが、
間違いなく、私と師長は衆人環視の的

それでなくても泣き通しだった私に、
よくないことがあったのは
誰もが容易く想像できる状況だ

こんなとき、
もう少し配慮があれば...




『悪性だったよ。
 これから大きな病院に行ってきます』――


私は彼にメールを送った

同居している両親にも電話をしようと思ったが、
涙で冷静に話せる自信はなかった


寒空の中

私は紹介状を持って、
そのまま大きな病院へ向かった


大きな病院では
転移がないかいろいろな検査の予約を入れた

手術の話も出たが、
今、「がん」と言われたばかり

気持ちの整理がつかない

頭も心も全くついていかない

もう少し、時間がほしい...



私は人目を避けるように、
冷たい風に吹かれ、
泣きながら歩いて家に帰った

家に着いたとき、すでに3時を回っていた



「悪性だったみたい」――

家族との夕食後、台所で、
私は努めて明るく母に伝えた

が、きっと顔は引きつっていただろう


「え? あんた乳がんなの?」

「うん、“乳がん”だって。
 今さら...って感じだよねー」


驚いた母は、
居間にいる父のところへ飛んで行った

居間で話をしている父と母の声を聴いていたら、
我慢ができなくなった

次の瞬間、
こらえていた涙が堰を切ったように流れはじめる

そして私は嗚咽とともに、その場に泣き崩れた


「大丈夫だ...大丈夫だ...」

母はそう言いながら、
私を優しく抱きしめてくれた

そんな母もまた、泣いていた


『ごめんね。
 お母さんもこの間、
 甲状腺がんがわかったばかりなのに、
 私までこんなことになっちゃって...。
 どこまでも不幸な娘でごめん...』





今日は、“2度目の誕生日”


乳がんになって新しい人生を歩きはじめた日



あれから15年――




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りかこプロフィール

 
★2009年5月より
医療機関開催“がんサロン”発行による『がんサロン通信』にて、体験記・エッセイ執筆

★2010年9月
市広報にて体験記掲載

★2011年8月31日
乳がん体験記『4分の3の乳房(ちぶさ)』書籍自費出版

★2012年1月21日
講演『乳がん闘病記 ~「ありがとう」と「感謝」の気持ちに至るまで~』

★2012年4月5日
FMオホーツク『乳がんについて』FPとの対談

★2012年4月
キーストーンアライアンス『百年シナリオ通信』記事掲載

★2013年6月より
医療サイト『ドクターズガイド』、ブログ掲載

★2016年9月14日
フジテレビ『めざましテレビ ~がんの見落とし~』ブログ紹介・インタビュー放送

★2020年3月
一般社団法人全国がん患者団体連合会『がん教育外部講師講座』修了(北海道教育委員会にがん教育外部講師として登録)

★2021年10月
『がん予防功労者表彰』(道・市・健康づくり財団・対がん協会4社共催)

★2023年5月
北海道がん患者連合会『がん教育講師派遣養成研修会』終了

★その他
講演、ピンクリボン運動、ピアサポーターとして活動中

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★国家資格
1994年10月、調理師免許取得(食と健康を考える乳がん経験者)

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★子ども虐待防止『オレンジリボン運動』サポーター

メッセージはこちらへ
乳がん履歴
★2002年3月3日(日)
 左乳房にしこりをみつける  

★2002年3月4日(月)
 視触診の結果“良性”と診断

★2006年11月8日(水)
 左乳房のしこり再受診  

★2006年11月15日(水)
 左乳房のしこり一部切除
  (外科的生検)

★2006年11月28日(火)
 乳がん告知      

★2007年1月11日(木)
 左乳がん手術

★2008年7月8日(火)
 局所再発の疑いで、
 細胞診・組織診(結果は良性)

★2009年2月17日(火)
 対側(右)乳がんの疑い
 (前年からしこりあり)経過観察

★2010年2月16日(火)
 右乳房細胞診(結果は良性)
手術・治療の経緯
★がん細胞の種類(しこり3つ)
 ・明細胞がん(クリアセル)
  (化学療法・放射線が効かない稀ながん細胞)
 ・非浸潤性乳管がん

 ・核グレード 2
 ・ER 90%
 ・PgR 10%
 ・HER2 (-)

★術 式
 ・腋窩リンパ節郭清
 ・乳房扇状部分切除(4分の1強切除)

★治 療
 ・放射線23回照射
 ・LH-RHアゴニスト製剤、
  4週間毎、2年間(25回)投与
 ・抗エストロゲン剤(クエン酸タモキシフェン)、
  5年服用
その他の病歴
★2006年5月
 子宮筋腫(漿膜下筋腫)核出術(10㎝の開腹手術)
  ・10cmの筋腫  1個
  ・8cmの筋腫   1個
  ・2~3cmの筋腫 4個

★2023年7月18日
 ・臼蓋形成不全発覚(先天性)
 ・変形性股関節症発症(両足)

★2024年10月
 骨粗鬆症が判明
母の甲状腺がん(乳頭がん・転移性がん)
★2006年11月(私の乳がん告知の約2週間前)
 甲状腺がん告知

★2007年1月(私の乳がん手術の2週間後)
 甲状腺摘出手術・頸部リンパ節郭清

★2007年5月
 術後療法(RI治療・1回)
  通常2~3回の治療が必要なところ、
  1回の治療で身体の中にがんがないことが
  確認される

★2009年5月
 頸部再発(切除手術を受ける)

★2012年5月
 肺転移確認

★2015年5月
 小脳転移確認

★2015年7月18日
 永眠

  ※再発後の治療法・治療薬なし
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≪2015年9月2日より、コメント欄を閉鎖させていただいております≫

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   © Rikako,2011

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