りかこの乳がん体験記

 30代でみつけた左乳房のしこり。「“良性”だからそのままにしておいていいよ」。視触診だけで簡単に下された診断。そして私は医師の言う通り放置した。 4年8ヶ月後、大きくなったしこりを切除。“良性”だと思っていたのに、病理検査の結果は悪性――乳がんだった・・・。

2023年03月

≪私の記録 169≫ まゆさんのこと ①


    2008年10月25日(土)

夕方、居間へ下りて行くと、
いつもは見ることのないテレビのチャンネルを
母が入れていた

画面に映し出されていたのは、
見覚えのある顔...

大原まゆ*”さんだ

『きっと私はがんばれる 2』

という番組として、
4時半から放送されていた

このときすでに15分経過

が、ほぼ観ることができた


まゆさんは結婚をして
現在、東京に住んでいるらしい

“結婚”――

まず、そのことに驚いた

きっとまゆさんの中にも
葛藤があったと思う

結婚は、
大きな決断だったとも思う

乳がんになって、
たぶん子どもも産めない

生きている環境はそれぞれ違うけれど、
普通で考えればこの状況で
結婚は自ら引いてしまうように思う

病気のまゆさんを
まるごと受け入れた彼もすごい

というのも、
現在、まゆさんは再発のため、
決して「体調がいい」とは言えないのだ



今回、札幌に帰ってきたのは、
ピンクリボン運動のためらしい

昨年の9月に
北海道の一部で公開された映画、
『Mayu ―ココロの星―』が
今年になって宮崎県や東京で公開され、
あちこち飛び回り、とても忙しそうだった

体調が悪くても、
今こうして頑張っているのは、

「自分が生きているときに
 できることをしたい。
 みんなに知ってもらいたいことを伝えたい』

との思いで、
精力的に活動をしている


再発は、確か昨年、映画の制作中に、
「骨転移をしている」と公表し、
点滴を受けていた
(たぶん、抗がん剤だろうか)

新たな転移がみつかったかどうかは
わからないが、
とても呼吸がつらそうで、
時折、咳き込んでいた

当初は、「あと2年」と
告げられていたようだ

今回、そんな話をはじめて知ったので、
とても衝撃を受けた


「今年で乳がん患者になって5年。
 今年の秋を迎えることができるなんて、
 誰が思っていただろう」

と、語っていたまゆさん

彼女が死を覚悟していることは
ありありと見てとれた

それだけに、悔いなく、
しっかり生き抜こうとしている強さが
伝わってくる


「一時は身体のことを考え、
 “あれは食べちゃダメ”など
 やっていたこともあったけれど、
 今はおいしいものを食べ、
 好きなものを飲む」

と、語っていたまゆさん


そんなつらい身体で、
まゆさんは必死にこう訴えていた

「自覚症状があってから病院に行くのは
 “検査”です。
 そうではなく、
 なにもないうちに“検診”に行ってもらいたい。
 早いうちにみつけた方がいいんです。
 命、金銭的なこと、
 不安、周りにかける心配...。
 そういうことを考えたら、
 絶対、早い方が負担が軽いんです」

と...


まゆさんの切実な心の叫びが心に響く

経験したひとでなければわからない、

死を目の前にしたひとにしかわからない、
熱い思い


でも私はひとに検診を勧めたりはしない

なぜだろう...

自分でもよくわからない

たぶん、他人の領域(人生)に
口を出したくないというか...

強制的になるのも嫌だし...

結局は、自分のことは
自分で守らなければいけないわけで

それは(検診を受けるかどうか)、
自分の意思のわけで...


それに端から行かないひとは、
いくら訴えたところで行かない

きっと、
「忙しい」とか、
「なにかあれば病院に行く」とか、
「自分は大丈夫」とか、
「がんになったって、別にいい」とか、
思ってる

検診の大切さを訴えれば訴えるだけ、
きっと、ウザいと思われるだけ

それに検診に行って、
万が一、そのひとにがんがみつかっても
責任もとれない

本当は、
今、みつかってよかったのだけど


私は自分がこんな経験をしたにもかかわらず、
まだ、「検診に行ってください」とは、
云えない

本当は
訴えていかなければならないことなのだろうけど、
まだ云えない


がんになったことはやっぱりつらいから

「知らないほうがよかった」と思った

でも、検査しなければ進行していく


でも、“がん”なんて、やっぱりなりたくない




  ――後 記――

   ※大原まゆ

    北海道室蘭市出身・札幌在住
    21歳で乳がん発覚

    ブログ『Mayuとあなたと。』
       『キセキノート。奇跡の軌跡...☆』
    乳がん闘病記『おっぱいの詩』
    闘病記映画化『Mayu ―ココロの星―』

    2009年5月9日 26歳
    乳がんの転移により永眠





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最 終。

3月最後の日


1週間の終わり


年度末――



ちょっと淋しい“最後”



でも、あしたからは

未来があふれている新しい時間がはじまる





そんな、最終3つが重なった朝



東の空には美しい光芒が

1日のはじまりを迎えてくれていた




2023/03/31 朝の光芒




さ、

今日も笑顔で


感謝の心を忘れず


“最後”のこの日を悔いなく――





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がんは、理屈では語れない病。

約5年、しこりを放置した私が
今こうして生きていて、

治療後の検査で、
「身体の中に
 がんは見当たりません」と言われた母が、
その後転移し、死んだ

「なぜだ...。
 死ぬなら私だろ」

そう思った



たとえば、“非浸潤がん”

私のもう一つのがんでもあるが...

理論的には、
『転移はない』と言われている

が、のちに遠隔転移をし、
亡くなった人を何人か知っている


そもそも、非浸潤がん自体、
「まだ解明されていない」と
聞いたこともある

非浸潤がんを放置すれば、
浸潤がんになるのか...という疑問も
残されている

私は主治医に、
「非浸潤がんが
 浸潤がんになるわけではない」と
言われたことがある

にわかには信じられなかった

なぜなら、
“がんは、浸潤していくもの”だと
思っていたから

それに、
「進行すれば、浸潤がんになる」と
言っている医者もいる

ならば放置して、
どんなふうにがんが広がっていくのか
人間の身体で実験してみよう

...というわけにもいかない



がんの原因...

  少しわかりつつあり、
  がんも“生活習慣病”として
  扱われているが...


転移の解明...

  これも、研究が進んでいるが...


そして、特効薬と治療法の確立...



人類とがんの戦いは長い

なのに、
がん細胞を完全にやっつける方法は
まだない

完治には至っていない


すべてのがんが治る時代は
本当に来るのだろうか

そしてそれはいつなのか...


これほど、
『がん治療は日進月歩』と言われていても、
なかなか現実は厳しい


「がんは治る病になりつつある」

そう聞かされても、
いくつも身近に起きている悲しい事実

がん患者には、
その進歩が実感できないこともある



やっぱり“がん”は簡単じゃない




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“あと10分”。どうする?

この数か月、特に眠りが浅い

夜中から朝方にかけて、
2回はトイレに起きる

トイレに起きるということは、
熟睡できていない証だ


明け方は、
さらに夢と現を行ったり来たり

この1週間、
朝はアラームが鳴る前に目が覚める

それは決まって12分ほど前


あと10分あれば、少しは眠れる...

いや、眠れないまでも、
ベッドの中でゆったりできる...

いやいや、10分眠ったところで、
中途半端に起こされるだけだ...


と、葛藤である


結局、
いいところで叩き起こされる不快さより、

まだ寝たいが、
自力で目覚めた瞬間を選ぶ


この“10分”が微妙な時間なのだ



そもそも乳がん告知を受けてから、
あまり眠れていない

はじめは“がん”という衝撃

“死”という恐怖と、
これからはじまる手術や治療の不安

そして未来への不透明感...


手術を受けば、痛みで眠れない

入院中は、
周囲の音が気になって眠れない

  看護師さんがパタパタと歩き回る音

  向かいのベッドの胃がんのおばさまが
  夜中に何度もトイレに行く音

   おばさまも眠れないらしく、
   いつもごそごそ物音がしていたっけ

  なにより、
  私の隣のベッドのおばちゃんのいびきが
  最大の騒音だった

   午後8時からの高いびき

   しかも、
   ラジオを点けっぱなしで寝るものだから、
   うるさくて仕方がない


そして治療がはじまれば、
今度は副作用で眠れない

そのあとも、
“がん”という不安があまりにも大きすぎて
眠れない



「眠れない」と、
母にぽつりと言ったことがある


「眠れなくたって大丈夫だ。
 そのうち一生眠れるから」――


洒落にもならない


そんな母が先に逝った





  今日は“上弦の月”



2023/03/29 上弦の月



  半分の月が夜の空に浮かんでいた




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≪私の記録 168≫ 乳がんのこと ②


    2008年10月22日(水)

お昼過ぎ、

『桑田佳祐さんのお姉さんが
 19日に亡くなっていた』

と、速報が流れた


56歳

13年前に乳がんを患い、
一時は「克服した」と言われていたようだ

再発(転移)なのか、
まだ詳しいことは報道されていないようだが、
末期がんだったらしい

...ということは、
再発・転移の可能性が大きいだろう


“13年前”といえば、
私が乳がんになったときと同じくらいの年齢

他人事(ひとごと)とは思えない

心がざわつく...


たまたまきのう、
“乳がんの完治”のことをここに綴った

やはり乳がんは、侮れない病気

『一生』という言葉が重く圧しかかる


乳がんは、比較的ゆっくり進行するがん

だから5年、10年後の生存率は高い

でも、感覚的には
死亡率が高いように感じてならない



    2008年10月23日(木)

今週は日にちが経つのが早い感じがする

きのうは“木曜日”だと勘違いしていた


最近は涼しくなったせいか、
それとも副作用が軽いせいか、
よく眠れて気持ちがいい

「“眠る”ということは
 こういうことだったんだ...」

という、久し振りの感覚だ





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りかこプロフィール

★2009年5月より
医療機関開催“がんサロン”発行による『がんサロン通信』にて、体験記・エッセイ執筆

★2010年9月
市広報にて体験記掲載

★2011年8月31日
乳がん体験記『4分の3の乳房(ちぶさ)』書籍自費出版

★2012年1月21日
講演『乳がん闘病記 ~「ありがとう」と「感謝」の気持ちに至るまで~』

★2012年4月5日
FMオホーツク『乳がんについて』FPとの対談

★2012年4月
キーストーンアライアンス『百年シナリオ通信』記事掲載

★2013年6月より
医療サイト『ドクターズガイド』、ブログ掲載

★2016年9月14日
フジテレビ『めざましテレビ ~がんの見落とし~』ブログ紹介・インタビュー放送

★2020年3月
一般社団法人全国がん患者団体連合会『がん教育外部講師講座』修了(北海道教育委員会にがん教育外部講師として登録)

★2021年10月
『がん予防功労者表彰』(道・市・健康づくり財団・対がん協会4社共催)

★2023年5月
北海道がん患者連合会『がん教育講師派遣養成研修会』終了


★その他
講演、ピンクリボン運動、ピアサポーターとして活動中


★国家資格
1994年10月、調理師免許取得(食と健康を考える乳がん経験者)


★子ども虐待防止『オレンジリボン運動』サポーター

メッセージはこちらへ
乳がん履歴
★2002年3月3日(日)
 左乳房にしこりをみつける  

★2002年3月4日(月)
 視触診の結果“良性”と診断

★2006年11月8日(水)
 左乳房のしこり再受診  

★2006年11月15日(水)
 左乳房のしこり一部切除
  (外科的生検)

★2006年11月28日(火)
 乳がん告知      

★2007年1月11日(木)
 左乳がん手術

★2008年7月8日(火)
 局所再発の疑いで、
 細胞診・組織診(結果は良性)

★2009年2月17日(火)
 対側(右)乳がんの疑い
 (前年からしこりあり)経過観察

★2010年2月16日(火)
 右乳房細胞診(結果は良性)
手術・治療の経緯
★がん細胞の種類(しこり3つ)
 ・明細胞がん(クリアセル)
  (化学療法・放射線が効かない稀ながん細胞)
 ・非浸潤性乳管がん

 ・核グレード 2
 ・ER 90%
 ・PgR 10%
 ・HER2 (-)

★術 式
 ・腋窩リンパ節郭清
 ・乳房扇状部分切除(4分の1強切除)

★治 療
 ・放射線23回照射
 ・LH-RHアゴニスト製剤、
  4週間毎、2年間(25回)投与
 ・抗エストロゲン剤(クエン酸タモキシフェン)、
  5年服用
その他の病歴
★2006年5月
 子宮筋腫(漿膜下筋腫)核出術(10㎝の開腹手術)
  ・10cmの筋腫  1個
  ・8cmの筋腫   1個
  ・2~3cmの筋腫 4個

★2023年7月18日
 ・臼蓋形成不全発覚(先天性)
 ・変形性股関節症発症(両足)
母の甲状腺がん(乳頭がん・転移性がん)
★2006年11月(私の乳がん告知の約2週間前)
 甲状腺がん告知

★2007年1月(私の乳がん手術の2週間後)
 甲状腺摘出手術・頸部リンパ節郭清

★2007年5月
 術後療法(RI治療・1回)
  通常2~3回の治療が必要なところ、
  1回の治療で身体の中にがんがないことが
  確認される

★2009年5月
 頸部再発(切除手術を受ける)

★2012年5月
 肺転移確認

★2015年5月
 小脳転移確認

★2015年7月18日
 永眠

  ※再発後の治療法・治療薬なし
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子ども虐待防止『オレンジリボン運動』
子ども虐待防止「オレンジリボン運動」
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★コメント欄は、2013年11月28日より認証制とさせていただきました。
 これまで通り投稿していただけますが、コメントが反映されるまでお時間をいただくこととなります。
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★また、2014年5月22日より、スマートフォンからのコメント投稿による誤送信を防ぐため、画像認証制を取り入れさせていただきました。認証英数字は“半角”での入力をお願いいたします。
 お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

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≪2015年9月2日より、コメント欄を閉鎖させていただいております≫

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≪2016年11月2日分より、コメント欄を開放しております≫

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   © Rikako,2011

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