5年後、肺に遠隔転移
治療法がないまま2年が過ぎ、
肺の腫瘍はみるみる巨大化
水も溜まり、
小脳にまで転移が認められた
そのとき、医師から告げられたのは、
“余命2か月”という現実
「ただ、生きてさえいてくれたら...」
「長生きしてくれたら...」
そう思った
が、それは、
家族としての“エゴ”なのかもしれない
それは、
余命の告知と同時に告げられた、
「お母様は、
延命(措置)を望んではいません」
という、医師の言葉だった
家族はどうしても、
「一日でも長く...一分でも長く...」
そう願う
が、本人が望んでいること、
そして、その一日、一分生きていることによって、
さらにつらい思いを
させているかもしれないこと...
そう考えると、
延命措置をして、意識がないまま、
その命を保っていることはどうなのか...
『命さえあればいい』――
その言葉の意味を考えさせられたのだ
私たちのがんもそうである
手術、治療と、命が長らえたわけだ
つらい副作用にも耐えてきた
生きていることにも感謝した
命があるだけで...
それだけで尊いことではある
が、ひとは、欲をかく生き物
生きていれば、あれもしたい
生きているうちに、これもしたい
と、夢や希望が湧いてくる
副作用がつらいとき、
生きているだけだった
ただ、つらさに耐えているだけだった
生きている意味がなかった
が、それが、
“今、やるべきこと”でもあった
がんになったって、仕事がしたい
がんになったって、恋愛がしたい
がんになったって、結婚がしたい
がんになったって、温泉に行きたい
がんになったって、旅行に行きたい
おいしいものも食べたい
楽しく日々を過ごしたい――
治療のつらさを乗り越えたとき、
見えてくる希望や目標
それは、“生きていくための欲”である
人に与えられた、たったひとつの命
ならば、生きることに、貪欲に――
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