いつものように、
携帯のアラームに起こされる
が、いつもと違うのは、
妙な静けさが漂っていたこと
聴こえていたのは、
近所の店舗の自家発電の大きな音だけ――
2018年9月6日、早朝3時8分
その瞬間、
北海道の胆振(いぶり)地方では、
震度6強の地震に見舞われていた
後に、“震度7”と修正
その影響で、北海道全土に及ぶ大停電、
ブラックアウトが起きていたのだ
電源を入れても点かないテレビ
モーター音の止まった冷蔵庫
通じない携帯...
信号は止まり、
警察官が手信号で対応
電気が消えた薄暗いスーパーの入り口には、
食料品や飲料水、
灯りなどを確保するための電池を買い求める人たちが
長蛇の列をつくった
工場も物流もすべてが停止
街の機能は完全に失われた
今、この街で、
この北海道で、
何が起きているのかわからないまま
これからやってくる真っ暗な夜に向けて
様々な準備をした
光のない夜がどれほど不安か、
想像もつかない

夜の帳が下りてゆく街
が、灯りは全くない
北海道すべてが暗闇の中だった
そんな中、救いだったのは、
満天の星空
大地よりも明るい、夜の空――
「“星”って、こんなにあったんだ...」
それはまさに、
天然のプラネタリウム
どうせ、やることもない
あくせくした日常から解き放たれるように、
ただ、星空を眺めた
銀河の中に
身体が包み込まれている感覚だった
テレビもパソコンも、スマホもない
どこへも出かけることはできない
心も身体も疲弊した、長い一日だった
○●○●○●○●○○●○●○●○●○○●○●○●○●○○●○●○●○●○
今日はこの時季にしては暑く、28.6度と、
冷房が必要な気温となった
1年前のあの日も、
少し蒸し暑い日だった
扇風機も使えず、
うちわでパタパタと仰いでいたのを覚えている
1年前のブログを読み返し、
あの日起こった出来事を振り返ってみた
私自身は“過去のこと”として捉えられるが、
まだ多くの避難をしている人たちがいて、
まだまだ復旧が進んでいない地域もある
そして何より、
命を奪われた42人の人たち...
後に、“震災関連死”と
確認された方2人を含めると、44名
今思えば、
食料品が完全に手に入れられるようになるまでは、
2週間ほどかかった
物理的に食べられない状況、
そして、精神的に食べられない状態が続き、
気力と体力、体重は、
一気に落ちていった
乳がんになって、
“当たり前の日常は、
当たり前のことではない”
と、身を以って体験した
そしてこのブラックアウトも
その日常を奪った
あれから1年――
長い1年だった
あの日、何が起こっているのかわからず、
私はこのブログで情報を求めました
情報をお寄せくださったみなさん、
本当にありがとうございました
たくさんの方々とつながっていられたこと、
嬉しかったです
力強かったです
本当に感謝です
1日1回、応援のクリックお願いします
日々の励みになります
↓ 両方押していただけると嬉しいです ↓

人気ブログランキング にほんブログ村
★しこり発見から治療までの経緯は⇒こちら
★さらに詳しい経緯を更新中⇒≪私の記録≫から

