りかこの乳がん体験記

 30代でみつけた左乳房のしこり。「“良性”だからそのままにしておいていいよ」。視触診だけで簡単に下された診断。そして私は医師の言う通り放置した。 4年8ヶ月後、大きくなったしこりを切除。“良性”だと思っていたのに、病理検査の結果は悪性――乳がんだった・・・。

体 験

手術から15年の現状は――。

乳がん手術から15年


15年前の今頃は、

ホルモン療法*がはじまって約1か月

  *)・LH-RHアゴニスト製剤
      4週間ごとの注射
      (1回 1万5千円(健康保険3割負担で))

    ・クエン酸タモキシフェン(内服薬)
      (薬価1錠 約500円(当時))


そして、一日に2度、
全23回の放射線照射も終わった頃


ホルモン剤の副作用は、
喉に違和感があるくらい

ほかにはほとんど自覚する症状もなかった

  このあと数年に渡り、
  恐ろしいほどの副作用に
  苦しめられることになるとは思いもせず、
  軽く考えていた時期


放射線を当てたおっぱいは、
見るも無残に赤黒く焼け焦げ、
強い痒みも出ていた



腋窩リンパ節郭清をした腕は、
感覚はほとんどない

わきの下も、おっぱいも、肩甲骨周りも、

「本当に感覚が戻るのか」
「戻るとしたら、どれくらい戻るのか」

と、不安でいっぱいになっていた


腕は上がらず、
毎日毎日痛みとの闘い

痛みのため、寒気がずっと続いていた

一日2回のリハビリ(1回20分)は、
痛みと動かない腕、そして、

「いつになれば動かせるのか...」

という焦りで、
泣きながらやっていたこともあった


毎晩、お風呂場で泣き、
両親がいる居間から自分の部屋に戻っては泣き

眠れず、
襲ってくる自傷行為との戦でもあった



あの当時のことを思い出すと、

「よく耐えたな...」

と、思う

もちろん、耐えるしかないのだが...




そして、15年後の現状は――


体調は悪いまま回復せず

体重はこの数年で4㎏落ちた
 (43㎏→39㎏)


腕や乳房、わきの下の感覚は、
8割ほど戻っただろうか

腕の可動も、8割ほど

ちなみに、腕の上がり方は...


2021/04/09 左腕の上がり方
  (10か月前の画像)


これくらい上がるようになれば、
上出来だろうか



ただ、4年以上前から、乳房が痒い

放射線治療の影響だろうか

四六時中痒いのでけっこうストレスだ

最近、
「皮膚科に行ってみようか」と思いはじめる

まぁ、たぶん私のことだから、
行かないと思うが...



今月に入ってから出るようになった咳も、
少し気になっている

さすがに15年も経つと、
咳や痛みには慣れたものだが、

それでも異変には敏感になる


「どこかが痛めば骨転移か...」

「咳が出れば、肺に転移したのか...」


その不安は消えることはない



「がんは、そんな病気なんだな...」

と、思う


一度がんになると、
一生抱えていかなければならないもの


離れることはできない悪友なのだ――




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「子どもがいなくてよかった」と思うしかない。

「もう子どもは産めません」――


乳がん告知を受けてから、
いろいろと調べた

だから、それはわかっていた


が、目の前で、はっきりと
主治医の口からその言葉を聴くと、
心にズンと、重い何かが圧しかかった


「半年前に、
 子宮筋腫の摘出手術受けたばかりなのに、
 なんで?

 “筋腫が大きく複数あるから、
 このままでは子どもが育たない”

 そう婦人科の医師に言われて、
 おなかを10cmも切る手術に踏み切った

 筋腫の手術した意味ないじゃん」


それは、希望の手術だった

“泣くに泣けない”とはこのことだ

筋腫の手術から半年経って、
ようやく小走りができるようになった頃だった


それでも、結婚をしていたわけではない

14年、つきあっていた彼はいたが...



『こんなガラクタな身体になってしまった私は、
 きっと彼と別れるべきだ

 彼には健康な女性と結婚をしてほしい

 そして、子どもをつくってもらいたい

 いや、乳がんの治療はせずに、
 このまま子どもをつくろうか...』


そんなことも考えた


が、もし子どもを産んだとして、
確実に私の乳がんは進行する

それでなくても5年放置したがん

おそらく余命は、
すぐそこまで迫るだろう


そうなると、彼は? 子どもは?


残された彼が、仕事をしながら
ひとりで幼い子どもを抱えて
生活している姿を想像すると
たまらなかった

「彼と子どもに、
 そんな思いをさせてもいいのだろうか」

と、思った


彼にとって最善なこと...

まだ見ぬ子どもの未来...

私の希望...


手術までの短い間、
たくさんたくさん考えた時間だった



女性に生まれてきて、
当たり前だと思っていた“出産”

それは、
“温かな家庭をつくる”という、
幼い女の子が抱く夢でもあった


私は、まだ見ぬ子どもの命より、
自分の命を選んだ

そのことを卑下したこともあった

卑怯だとも思った

その気持ちを強くさせたのは、
自分の命を顧みず、
出産をした女性のドキュメンタリーを見たからだ

そのことを医療関係者の方に話したことがある

「ああいうのは、少なからず美化されている。
 今ある命の方が大切だよ」


単なる慰めかもしれない

が、
そう言ってくれた言葉だけが救いだった


母にも孫を抱かせてあげられなかった

「なんて親不孝な娘だろう」

と、思った


甲状腺がんの再発で
7年前に亡くなった母

「姪(私の妹の子)が、
 小学校にあがるまでは生きたい」

そう言っていたが、叶わなかった

が、病床で、
3歳の姪を可愛がっている母の笑顔を見たとき、

「ああ、よかった...」

と思った

あの母の笑顔を
私はきっとずっと忘れない



自分が乳がんになり、
まさか子どもが産めなくなるなんて
思ってもいなかった

婦人科の病気ではなく、“乳がん”でなんて


きっと子どもは、
“何ものにも代えがたい宝”なのだと思う

「子どものためなら...」という言葉もよく聞く



が、今は、

「子どもがいなくてよかった」

そう思うしかない


「自分のことだけ考えて生きればいいんだから」


と――



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乳がんで子どもが産めない?

「もう子どもが産めないんだ」――

乳がんの治療をはじめてから、
周囲にそう漏らしたことがある


そもそも私は乳がんがわかる半年ほど前、
子宮筋腫の摘出手術を受けていた

手術は、
“子宮筋腫核出術”という術式で、

“筋腫だけを取り除き、
 子宮はそのまま残す”というもの

筋腫はかなり大きく複数あったため、

  ○10cm・・・1個
  ○ 8cm・・・1個
  ○2~3cm・・・4個


「このままでは子どもが産めないよ」

と、婦人科の医師に言われ受けた手術だった

  受精卵が着床したとしても、
  10cmと8cmの筋腫に子宮が挟まれているため、
  子どもが育たないとのことだった




が、その半年後、乳がんを告知される

結局、出産はできなくなったわけだ



『子どもが産めない=婦人科に問題あり』

...と、多くの人は思う

私も自分が乳がんになって初めて、
がん治療が原因で
子どもが産めなくなることを知ったくらいだ


そのため、

「子どもが産めなくなった」

そう言うと、
以前に受けた筋腫の手術のせいだと思われる


「え? 乳がんで子どもが産めなくなるの?
 おっぱいなのに?」

と、不思議がられる


私自身も、

「婦人科の病気で
 子どもが産めなくなるかもしれない」

と、思ったことはある

が、まさか乳がんが、
“出産”という幼い頃からの夢を奪うとは
想像さえしていなかった



がんは、正常な細胞より分裂が早い

化学療法は、
その増殖の早い細胞を
攻撃するようにつくられている

そのため、
比較的細胞分裂が早い毛根や粘膜、
卵巣などにダメージを与える

髪の毛が抜けたり吐き気がしたり、
生理が止まるのはそのためだ

なので、乳がんに限らず、
化学療法をおこなえば、
子どもができなくなるリスクがある


乳がんの治療のひとつ、ホルモン療法も、
女性ホルモンを止めるため
子どもが産めなくなるのだ
 (私がこれにあたる)


  ※治療後に出産をしているひともいる




多くの夢や希望を奪ってゆくがん

が、
がんになったからこそ手に入れられたものも、
たくさんあった


『がんは決して、マイナスばかりじゃない』――




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乳がん体験記出版裏事情。


  私のようにがんを見落とされる人が
  これ以上出ないように、
  自分の体験を伝えていきたい

  同じ“乳がん”という病で
  不安や悩みを抱えている人の力に
  少しでもなりたい

  そして、

  「独りじゃない。仲間がいる」

  そう知ってもらいたい――



そんな思いから、
乳がん体験記の出版を本気で考えたのは、
今から13年前

きっかけは、
病院で開催されている“がんサロン”での
体験記の執筆だった


「やっぱり出版は諦めきれない」

と、一念発起

なんとなく構想していた体験記を
本格的に文章にしたためはじめた

幸い日記をつけていたため、
あらましは容易く掴むことはできた



日記と睨めっこをしながら
カタカタと古いパソコンで
一文字一文字打ち込んでゆく――

それは出版へ向けての希望と、
告知時の、
あの悲しい思いが再び蘇る、
つらい作業でもあった



大きな壁が立ちはだかっていたのは、

原稿ができあがってからだった


そう、出版社探しである


これが芸能人なら、

黙っていても向こうから話が来るだろう


が、そもそも一般人の乳がん体験なんて、

どの出版社も見向きするはずがない



20歳で余命3か月』――


ともなれば、

喰いついてくるメディアはあるだろう


“乳がん”という、珍しくもない病


しかも“一般人”となれば、
出版社に儲けはほぼないどころか、
赤字になる

結局、“かね”である



原稿を送っても、返事が来ないのは当たり前

それどころか、原稿さえ読んでもらえない


漫画や小説など、毎日毎日、
山のように送られてくるであろう原稿

デスクの上の山積みになった郵便物の中に
私の原稿が埋もれたままになっているか、
それともそのままゴミ箱行きになったか...


 

周囲に出版できないか声をかけてもみた

ネットで自費出版の会社も探してみた

が、
なかなか自分の希望に合うものはなかった



地元の新聞社からは、
ありがたいもので封書で返事をいただけた


が、中に書かれていたのは、


『これくらいの体験は誰でもしている』


というもの


A4用紙にほんの23行だけ書かれた、

断りの文章だった


「これくらいの体験?

 こっちは命がかかっているんだ。

 ひとの命をなんだと思っているんだ」


そんな怒りに震えたこともあった



中には、


「親戚が印刷会社で働いているから、
 聞いてみてあげる」


と、親切におっしゃってくれた方もいた


が、2か月経っても3か月経っても
なんの音沙汰もない

しかも、あれから何度も顔を合わせているのに、
なにも言ってこない


こちらから聞くのははばかられたが、
「もう待てない」と、声をかけてみた


すると、

「私もいろいろ忙しくて、

 まだ電話していないの」


と、少し迷惑そうだ


『そっちから言ってきたんじゃない。

それに“忙しい”って、電話の一本くらい、

 すぐに入れられるんじゃ...』


そう思ったが、なにも言えなかった


『こんなことなら、

この人の返事なんか待つんじゃなかった』


その方も同じがんを患っていただけに、

大きな失望だった


そこで私は半年も無駄にしてしまったのだ




親身になってくれた出版社もあった


が、見積もりを出してもらうと、

法外な金額


「今なら半額で...」 ←怪しげな文言である


と、提示された金額でもまだ高い


断るのも大変だった


あとで知ったことだが、その出版社、

数々の訴訟を起こされていたらしい


『まぁ、あの金額ならそうだろうな』


と、合点がいったのだ



その後、いい方と出逢い出版に至る

出版の準備をはじめてから、

実に1年半が経っていた



中身や表紙の用紙、色、帯、

文字の大きさやフォントなど、

大体のものは自分で決めることができた


わがままも聞いてもらった


話し合いがまとまらなくて、
イライラして声を荒らげてしまったことは、

今でも申し訳なく思っている




そんな、出版までの裏話――





2022/01/26 乳がん体験記『4分の3の乳房』


  原稿を書きはじめたのは、
  手術をしてまだ2~3年目の頃

  副作用に耐えながら書いていた


  まだ自分のことは
  話したくない時期でもあった

  なので実は、
  あまり詳しくは書いていない


  今ならもっと
  詳細に書くことができたと思う





そんな今日も、氷点下20.1度の朝

オホーツク海には
少し遅い流氷も訪れはじめた

いよいよ本格的な寒さになりそうだ



2022/01/26 ハロとつらら

    午前中に出現したハロ




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【医療機関を選ぶ際の情報の入手先】

風邪くらいなら近くの内科でいい


なので、引っ越しをするたび、
また、通勤途中のクリニックなど、
あちこちの医院にかかっていた

  あとは、
  「この先生はちょっと...」とか


今となっては、しっかりと
「“かかりつけ医”を決めておいた方がいい」
と思う




2020年、厚生労働省では、
『受療行動調査』というものをおこなった


  『受療行動調査』とは――

   厚生労働省が3年おきに実施している調査で、
   全国の医療施設を利用する患者に
   診療などの状況や
   受けた医療に対する満足度などを聞き、
   患者の視点に立った今後の医療のあり方を検討し、
   これからの医療をより良くするための
   基礎資料となるとても重要な調査


その一部に、

“外来患者が医療機関を受診するときの、
 情報の入手先”

というものがある




 【医療機関を受診する際の情報の入手先】

             2017年 → 2020年

 ○家族・知人・友人の     70.6 → 70.1
  口コミ

 ○医療機関が発信する、    21.2 → 23.5
  インターネットの情報

 ○医療機関の相談窓口     16.3 → 15.6

 ○医療機関・
  行政機関以外が発信する、
  インターネットの情報   12.0 → 14.0
  (SNS・電子掲示板・
   ブログの情報含む)

 ○医療機関の看板や       5.0 → 5.7
  パンフレットなどの広告

 ○新聞・雑誌・本の記事や    5.3 → 4.7
  テレビ・ラジオの番組

 ○行政機関が発行する、     3.3 → 3.8
  広報誌やパンフレット

 ○行政機関が発行する、
  インターネットの情報    3.4 → 3.2
  (医療機能情報提供制度*など)

 ○行政機関の窓口       2.3 → 2.3

 ○その他           10.5 → 10.6

             ※複数回答(%)



   *)医療機能情報提供制度とは――

     2004年4月1日からの
     第五次医療法改正**に伴い
     実施されている制度

     医療機関の機能情報を都道府県を通じて
     住民らに公表する


   **)第五次医療法改正とは――

     2004年4月1日、
     “良質な医療を提供する体制の
     確立を図るための
     医療法などの一部を改正する法律”が
     施行された

     これを、“第五次医療法改正”という




アンケートはおそらく、がんに限らず、
様々な疾病で医療施設を利用した場合の
調査結果だろう

これを見ると今の時代、
情報源はやはり“インターネット”のようだ

私たちも「がん」と言われ、
ブログやSNS、
医療機関のホームページなどで
治療やその経験を調べた人も多いだろう


そんなネットの時代は、
簡単に情報を手に入れられる反面、
知りたくないこと、
知らない方がよかったことも目にすることになる

また、残念なことに、
正しくない情報もあふれ返っているのが現状だ




「あそこの病院、いいよ」

「都会のもっと大きな病院に
 行った方がいいんじゃない?」――

がんになると、
周囲からそんな声をかけられることは多い

それこそネットで、
病院探しをした人もいるだろう


私の場合は、探すだけの医療機関がなかった

それは、この地域に
がん治療をしている病院が
ひとつしかなかったから

もちろん、都会の病院にも憧れた

が、現実問題として、行けない


それは、遠すぎること

そして、費用がかかりすぎること


それに、標準治療なら、
どの病院でも同じだと思った

手術も乳房を取るだけ

内臓に隠れた、
難しい腫瘍を摘出するわけでもない



私は恵まれている

この地域に、
がん治療ができる病院があるから

北海道は広い

地方から泊まりがけや
片道2~3時間かけて
通院している人たちも少なくない

それを思えば、
今の状況は充分すぎるほど充分だ



「私、東京の有名な病院で手術したけど、
 先生には不満ばかりだった」

と、言っていた乳がん患者のかたがいた


たとえ有名な病院であっても、
不満は出るものなのだ――




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りかこプロフィール

★2009年5月より
医療機関開催“がんサロン”発行による『がんサロン通信』にて、体験記・エッセイ執筆

★2010年9月
市広報にて体験記掲載

★2011年8月31日
乳がん体験記『4分の3の乳房(ちぶさ)』書籍自費出版

★2012年1月21日
講演『乳がん闘病記 ~「ありがとう」と「感謝」の気持ちに至るまで~』

★2012年4月5日
FMオホーツク『乳がんについて』FPとの対談

★2012年4月
キーストーンアライアンス『百年シナリオ通信』記事掲載

★2013年6月より
医療サイト『ドクターズガイド』、ブログ掲載

★2016年9月14日
フジテレビ『めざましテレビ ~がんの見落とし~』ブログ紹介・インタビュー放送

★2020年3月
一般社団法人全国がん患者団体連合会『がん教育外部講師講座』修了(北海道教育委員会にがん教育外部講師として登録)

★2021年10月
『がん予防功労者表彰』(道・市・健康づくり財団・対がん協会4社共催)

★2023年5月
北海道がん患者連合会『がん教育講師派遣養成研修会』終了


★その他
講演、ピンクリボン運動、ピアサポーターとして活動中


★国家資格
1994年10月、調理師免許取得(食と健康を考える乳がん経験者)


★子ども虐待防止『オレンジリボン運動』サポーター

メッセージはこちらへ
乳がん履歴
★2002年3月3日(日)
 左乳房にしこりをみつける  

★2002年3月4日(月)
 視触診の結果“良性”と診断

★2006年11月8日(水)
 左乳房のしこり再受診  

★2006年11月15日(水)
 左乳房のしこり一部切除
  (外科的生検)

★2006年11月28日(火)
 乳がん告知      

★2007年1月11日(木)
 左乳がん手術

★2008年7月8日(火)
 局所再発の疑いで、
 細胞診・組織診(結果は良性)

★2009年2月17日(火)
 対側(右)乳がんの疑い
 (前年からしこりあり)経過観察

★2010年2月16日(火)
 右乳房細胞診(結果は良性)
手術・治療の経緯
★がん細胞の種類(しこり3つ)
 ・明細胞がん(クリアセル)
  (化学療法・放射線が効かない稀ながん細胞)
 ・非浸潤性乳管がん

 ・核グレード 2
 ・ER 90%
 ・PgR 10%
 ・HER2 (-)

★術 式
 ・腋窩リンパ節郭清
 ・乳房扇状部分切除(4分の1強切除)

★治 療
 ・放射線23回照射
 ・LH-RHアゴニスト製剤、
  4週間毎、2年間(25回)投与
 ・抗エストロゲン剤(クエン酸タモキシフェン)、
  5年服用
その他の病歴
★2006年5月
 子宮筋腫(漿膜下筋腫)核出術(10㎝の開腹手術)
  ・10cmの筋腫  1個
  ・8cmの筋腫   1個
  ・2~3cmの筋腫 4個

★2023年7月18日
 ・臼蓋形成不全発覚(先天性)
 ・変形性股関節症発症(両足)
母の甲状腺がん(乳頭がん・転移性がん)
★2006年11月(私の乳がん告知の約2週間前)
 甲状腺がん告知

★2007年1月(私の乳がん手術の2週間後)
 甲状腺摘出手術・頸部リンパ節郭清

★2007年5月
 術後療法(RI治療・1回)
  通常2~3回の治療が必要なところ、
  1回の治療で身体の中にがんがないことが
  確認される

★2009年5月
 頸部再発(切除手術を受ける)

★2012年5月
 肺転移確認

★2015年5月
 小脳転移確認

★2015年7月18日
 永眠

  ※再発後の治療法・治療薬なし
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コメント欄について
★コメント欄は、2013年11月28日より認証制とさせていただきました。
 これまで通り投稿していただけますが、コメントが反映されるまでお時間をいただくこととなります。
 非公開希望の方は、その旨書き込んでいただけるとそのように対応いたします。

★また、2014年5月22日より、スマートフォンからのコメント投稿による誤送信を防ぐため、画像認証制を取り入れさせていただきました。認証英数字は“半角”での入力をお願いいたします。
 お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

★営利目的だと思われるリンク、また、不当なリンクやコメントは削除させていただいています。また、個人を特定するものや商品名なども、編集・削除させていただく場合があります。

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≪2015年9月2日より、コメント欄を閉鎖させていただいております≫

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≪2016年11月2日分より、コメント欄を開放しております≫

★非公開希望には対応しかねますので、コメントの投稿を控えていただきますようお願いいたします。

★個人を特定するもの、商品の宣伝、不当なリンクなど、編集・削除させていただく場合があります。

★公開が原則となっています。良識のあるコメントをお願いいたします。

~~~~~~~~~~~~~~


≪2016年12月3日分より、コメント欄を閉鎖させていただいています≫


~~~~~~~~~~~~~~


≪ランダムで開放しています≫


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