りかこの乳がん体験記

 30代でみつけた左乳房のしこり。「“良性”だからそのままにしておいていいよ」。視触診だけで簡単に下された診断。そして私は医師の言う通り放置した。 4年8ヶ月後、大きくなったしこりを切除。“良性”だと思っていたのに、病理検査の結果は悪性――乳がんだった・・・。

私のこと

『オレンジリボン運動』、サポーター登録。

“ピンクリボン”はもう有名

『乳がん啓発運動』のシンボルマーク



リボンの色は、ほかにもたくさんある


  ☆詳しくは下記へ





そしてこの“リボン”

がんに限らず、

 ○HIV・エイズ・・・赤
 ○自閉症・・・パズル
       (様々な色が
        ジグソーパズルのように
        組み込まれている)
 ○統合失調症・・・シルバー
 ○障がい者の社会参加・・・黄色
 ○てんかん・・・パープル
 ○ダウン症・・・ブルー&イエロー
 ○目に見えない障がい・・・透明
 ○追悼・・・ブラック
 ○女性の健康と権利・・・白
 ○LGBTQ・・・レインボー
 ○性同一性障害・・・空色
 ○臓器移植・・・グリーン

  ※同じ色のリボンでも
   ほかの意味が込められているものが
   いくつもあります


...などと、
今では本当に多岐にわたっている


そして、
『オレンジリボン』というものがある

“児童虐待防止運動”を表している


なんと、

“虐待で死亡する子どもは、1週間に1人”

らしい


『オレンジリボン運動』は、
子どもの虐待をなくすことを呼びかける“市民運動”で、
虐待のない社会を築くことを目指している


...ということで、私も登録してみた



2024/03/09 『オレンジリボン運動』



特になにができる...というわけでは
ないかもしれない

ただ、子どもの頃、
ちょっとだけそんな経験をした私には
他人事ではなくて


子どもが産めなくなった
私が言うのもなんだけど、
やっぱり“子どもの笑顔”って
大切だと思うから

“子どもは未来の宝”だと思うから



そして私自身、
生きているうちに、
少しずつ
できることをやっていきたいと思うから――




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性被害に思う ~女性として、経験者として~

きのう、今日と、よく降った

今日は吹雪の一日

数日前は春がちらついていたというのに、
真冬に逆戻りだ




さて...


最近なにかと耳にする、
“性加害”というワード


「同意があったのか、
 なかったのか」――

その議論は当然だ


が、被害者からすれば、

「なにを以って
 “同意”とみなされるのか」


行為をもったから同意?

股を開いたら同意?



かなり前になる

アメリカで本当に起きた事件か、
それとも映画か、
はたまた、仮定としての話だったか、
それさえも覚えてないのだが...


それは、
“ピタピタのスキニージーンズを穿いた女性が
 性被害を訴えた”という話

当然、裁判では
“同意があったか、なかったか”が争点

「そんなにきついジーンズは、
 女性の同意がなければ脱がせられない。
 あなたは自ら
 ジーンズを脱ぎましたね!?」

と、詰め寄られ、
被害を受けた女性には不利とも思われる、
なんとも屈辱的な台詞があった


この、“同意”

訴えた女性のほとんどは、
“性行為を望んで”の同意ではないと思う

理由は、“怖いから”

だから、抵抗できない


「いうことを聞かなければ、
 暴力を振るわれるかもしれない

 もしかしたら、殺されるかもしれない

 だったら、このいっときを我慢しよう」


そう思うに決まっている


あのときの恐怖は、
きっと経験をしたひとでなければ
わからない

「殺されるかもしれない」という、
あの恐怖は――



  お金目当てや
  性加害も受けていないのに、
  ただ相手の名誉をズタズタにしたい

  そんな理由で訴えている女性がいるとすれば
  それはとっても哀しいこと


  本当に性被害を受けたひとたちの
  本当の苦痛は
  きっと想像できないだろう



  毎日毎日、
  テレビから流れてくるこの言葉

  できれば聞きたくないよね




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目 標。

「そうだ。本を読もう」――


数日前に掲げた今年の目標

いや、昨年も、その前の年も、
同じことを思っていたような気がする



子どもの頃、
本に触れる機会が多かった

それは、幼稚園でも、小学校でも

近くに...といっても、
子どもの足で歩くにはちょっと遠かったが、
図書館もあった

幼稚園のとき、
よく図書館に通っていた


小学校では、給食のあと、
毎日“読書の時間”があった

夏休みや冬休みには
本を5冊読むのが宿題でもあった

読書感想文を書くと、
賞状をもらえる

それが欲しくて頑張った

なので家には
読書感想文の賞状がたくさんあった

そんな、読書に力を入れていた学校だった


が、小学2年の2学期、その街を出た

転校だ

それから本を読む機会が減ってしまった



成人になると、
さらに本から遠ざかっていった

それに、いざ、読もうと思っても、
今度はなにを読んでいいのかわからない

そんなこんなで、
どんどん読む機会を失っていた


そんな20代の後半

数年振りに
高校のクラスメイトに会った

読書好きの男子だ

「本読みたいんだけど、
 なにを読んだらいいのか
 わからないんだよね」

と、話をしたことがある

特になんてことのない、
私の単なる呟きだった


が、

「これ、読んでみたら?」

と、後日、
彼が一冊の文庫本を持ってきてくれた

ドストエフスキーの
『貧しき人びと』だ


「ドストエフスキー?
 こんな難しそうなの、読めるかな...」

そう思ったが、これが実に面白かったのだ


「ありがとう。これ、面白かった」

と、彼に本を返すと、

「これ、面白いよな。本、読めるんだな」

と、彼は私が
この本を読めないと思っていたようだ

そして私は、
それからドストエフスキーにハマったのだ



2024/01/13 本




なので私は、彼に感謝している

本の楽しさを思い出させてくれたから



乳がんの治療をはじめてから
体調が悪い日が続いた

本を読む体力も気力も集中力もなく、
数年、本を手にすることはなかった

なので、読んでいない本がたくさんある

読みかけの本もある


今年はもう少し、
読む機会をつくろうっと――




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見るタイプ。

「あなたは毎日夢を見ますか?」――


答えは、「はい」

なんなら一晩に、平均3話は見る


もちろん、
すべて覚えているわけではない

「なんか見たけど、
 なんだったっけ...」

と、はっきり思い出せない方が多い



昔、

「見た夢を書き留めておくといい」

と、聞いたことがある


...ということで、
私もやってみたことがある

枕元にメモ帳とペンを置き、就寝

夢を見て目を覚ますと、
すぐに書き留める

寝ると忘れてしまうので、
眠くてもその場で書き留める

そして再び就寝――


また夢で目が覚める

書き留める

就寝...


その繰り返し



その日書いたものを読み返してみると、
明け方の夢は覚えていいるものの、
やはり最初に見た夢は忘れている

が、書き留めたことで、

「あぁ、そうだった。
 こんな夢見たっけ...」

と、うろ覚えの記憶が蘇ってくる



どのくらい続けただろう...

1週間...

いや、2週間くらい続けただろうか

結局、
夢を見るたび何度も夜中に起きて書く...
という作業に疲れ、やめてしまった

なにより深い眠りに就けないのだ

そして未だに、
「見た夢を書き留めておくといい」の
“いい”の意味がわからないまま...


数年後、探し物をしていると、
書き留めたそのノートが出てきたことがある

「わぁ、まだ残っていたんだ...」

中を開いて読んでみた

印象的な夢はかろうじて
記憶の片隅に残されていたが、
ほとんどの夢は覚えていなかった



結論――

夢を見ないくらい、
ぐっすり眠ってみたいものである




  今日の朝の月


2024/01/06 逆六日月


  新月まであと6日の、
  逆六日月がきれいに輝いていた




さ、今夜も早めにベッドに入ろう――



  睡眠不足も
  「がんによくない」と言わているしね...

  まぁ、よくないのは、
  がんだけではないけれど




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先生と、母の死と――。

生ぬるい朝の風

11月も後半だというのに、
異常な暖かさだ


そんな朝の空

ふと、窓の外に目を遣ると、
美しく輝く短い七色の光



2023/11/23 幻 日 ①



「幻日だ!!」

朝食のパンを頬張りながら、
スマホを片手に走る


        太陽の、向かって右側と、
2023/11/23 幻 日 ②
    左側に、小さな虹



これほどきれいな幻日は初めてだ

しかも、観られたのはほんの数分

すぐに消えてしまった


美しいものは、儚い...



でも、朝からなんだか気持ちがいい




...ということで、
今日は久し振りに美容院へ



2023/11/23 美容院



父の仕事の関係で、
子どもの頃から家族ぐるみで
おつきあいのある、美容院の先生

「お母さん、何年になった?」


母ががんになって、
私もがんになって、
母が亡くなって、

先生には
たくさん悲しい思いをさせてしまった

たくさん、泣かせてしまった


「もう8年が過ぎました」

「もうそんなになるの?
 まだ3年くらいな感じがする。
 まだいるような気がする」

「私もようやく
 気持ちが楽になってきたところです。
 “母が亡くなった”と連絡が来たのが夜中で、
 それから病院に駆けつけて、
 ベッドで横たわっている母を見たときの、
 あの記憶がなかなか抜けなくて。
 でも6年が過ぎたあたりから、
 少し楽になってきました」


...なんて話をしていたら、
また先生を涙ぐませてしまった...

いつもなら、私もここで涙ぐんでいた

でも今日は涙は出なかった


『あぁ、やっと、母の死から
 少し立ち直ってきたのかな...』


そう感じた



実家に行くと、
いつも座っていた母の場所

そこに、
なんとなく母がいるような気がする

でもその席は、
余命幾ばくもなく、
つらい身体で座っていた場所でもある


明るく笑っていた母

そして、
死を直前に顔をしかめていた母


その席は、
ふたつの母が重なり合っている場所なのだ



いつも考える

「母のいないあの家で、
 父はどんな思いで生活しているのか」

と――


  娘が思うほど、
  意外となにも考えていないのかもね




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りかこプロフィール

★2009年5月より
医療機関開催“がんサロン”発行による『がんサロン通信』にて、体験記・エッセイ執筆

★2010年9月
市広報にて体験記掲載

★2011年8月31日
乳がん体験記『4分の3の乳房(ちぶさ)』書籍自費出版

★2012年1月21日
講演『乳がん闘病記 ~「ありがとう」と「感謝」の気持ちに至るまで~』

★2012年4月5日
FMオホーツク『乳がんについて』FPとの対談

★2012年4月
キーストーンアライアンス『百年シナリオ通信』記事掲載

★2013年6月より
医療サイト『ドクターズガイド』、ブログ掲載

★2016年9月14日
フジテレビ『めざましテレビ ~がんの見落とし~』ブログ紹介・インタビュー放送

★2020年3月
一般社団法人全国がん患者団体連合会『がん教育外部講師講座』修了(北海道教育委員会にがん教育外部講師として登録)

★2021年10月
『がん予防功労者表彰』(道・市・健康づくり財団・対がん協会4社共催)

★2023年5月
北海道がん患者連合会『がん教育講師派遣養成研修会』終了


★その他
講演、ピンクリボン運動、ピアサポーターとして活動中


★国家資格
1994年10月、調理師免許取得(食と健康を考える乳がん経験者)


★子ども虐待防止『オレンジリボン運動』サポーター

メッセージはこちらへ
乳がん履歴
★2002年3月3日(日)
 左乳房にしこりをみつける  

★2002年3月4日(月)
 視触診の結果“良性”と診断

★2006年11月8日(水)
 左乳房のしこり再受診  

★2006年11月15日(水)
 左乳房のしこり一部切除
  (外科的生検)

★2006年11月28日(火)
 乳がん告知      

★2007年1月11日(木)
 左乳がん手術

★2008年7月8日(火)
 局所再発の疑いで、
 細胞診・組織診(結果は良性)

★2009年2月17日(火)
 対側(右)乳がんの疑い
 (前年からしこりあり)経過観察

★2010年2月16日(火)
 右乳房細胞診(結果は良性)
手術・治療の経緯
★がん細胞の種類(しこり3つ)
 ・明細胞がん(クリアセル)
  (化学療法・放射線が効かない稀ながん細胞)
 ・非浸潤性乳管がん

 ・核グレード 2
 ・ER 90%
 ・PgR 10%
 ・HER2 (-)

★術 式
 ・腋窩リンパ節郭清
 ・乳房扇状部分切除(4分の1強切除)

★治 療
 ・放射線23回照射
 ・LH-RHアゴニスト製剤、
  4週間毎、2年間(25回)投与
 ・抗エストロゲン剤(クエン酸タモキシフェン)、
  5年服用
その他の病歴
★2006年5月
 子宮筋腫(漿膜下筋腫)核出術(10㎝の開腹手術)
  ・10cmの筋腫  1個
  ・8cmの筋腫   1個
  ・2~3cmの筋腫 4個

★2023年7月18日
 ・臼蓋形成不全発覚(先天性)
 ・変形性股関節症発症(両足)
母の甲状腺がん(乳頭がん・転移性がん)
★2006年11月(私の乳がん告知の約2週間前)
 甲状腺がん告知

★2007年1月(私の乳がん手術の2週間後)
 甲状腺摘出手術・頸部リンパ節郭清

★2007年5月
 術後療法(RI治療・1回)
  通常2~3回の治療が必要なところ、
  1回の治療で身体の中にがんがないことが
  確認される

★2009年5月
 頸部再発(切除手術を受ける)

★2012年5月
 肺転移確認

★2015年5月
 小脳転移確認

★2015年7月18日
 永眠

  ※再発後の治療法・治療薬なし
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子ども虐待防止「オレンジリボン運動」
コメント欄について
★コメント欄は、2013年11月28日より認証制とさせていただきました。
 これまで通り投稿していただけますが、コメントが反映されるまでお時間をいただくこととなります。
 非公開希望の方は、その旨書き込んでいただけるとそのように対応いたします。

★また、2014年5月22日より、スマートフォンからのコメント投稿による誤送信を防ぐため、画像認証制を取り入れさせていただきました。認証英数字は“半角”での入力をお願いいたします。
 お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

★営利目的だと思われるリンク、また、不当なリンクやコメントは削除させていただいています。また、個人を特定するものや商品名なども、編集・削除させていただく場合があります。

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≪2015年9月2日より、コメント欄を閉鎖させていただいております≫

~~~~~~~~~~~~~~

≪2016年11月2日分より、コメント欄を開放しております≫

★非公開希望には対応しかねますので、コメントの投稿を控えていただきますようお願いいたします。

★個人を特定するもの、商品の宣伝、不当なリンクなど、編集・削除させていただく場合があります。

★公開が原則となっています。良識のあるコメントをお願いいたします。

~~~~~~~~~~~~~~


≪2016年12月3日分より、コメント欄を閉鎖させていただいています≫


~~~~~~~~~~~~~~


≪ランダムで開放しています≫


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   © Rikako,2011

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