りかこの乳がん体験記

 30代でみつけた左乳房のしこり。「“良性”だからそのままにしておいていいよ」。視触診だけで簡単に下された診断。そして私は医師の言う通り放置した。 4年8ヶ月後、大きくなったしこりを切除。“良性”だと思っていたのに、病理検査の結果は悪性――乳がんだった・・・。

≪私の記録≫

≪私の記録 313≫ 職場での副作用と、パートのおばちゃんの態度 / 妹の写真


    2010年11月29日(月)

あしたのお弁当の予約が、
私の勤務している飲食店に入った

通っている病院の、
しかも外科外来からだ

この飲食店、
ちょっとした和食のお店

決して“安い”というお店ではない

“お弁当”といっても、
こんな小さな街にしては
そこそこの値段がする

豪勢だ...


あしたは火曜日

私の主治医が
外来担当の曜日でもある

主治医もあのお弁当、
食べるのだろうか...



    2010年11月30日(火)

今朝、勤務先のお店の暖房が強くて、
暑さで具合が悪くなってしまった

陰に隠れて、立ったままではあるが、
少し息を整えていた

すると、
私の姿が見えないことを
怪訝に思ったパートのおばちゃん
(60代のパートの主)が
探しに来た

「なにやってるの?」

と、ぶつぶつ、ぶつぶつ...

なんか云い方が嫌味なんだよね

ほかのパートの若い子たちとは
笑いながら話をしたり優しく教えているのに

私にはいつも冷たく当たる

ろくに仕事も教えてくれないくせに、
文句ばっかり


仕事をはじめてから、
仕事中にはほとんど副作用が出なかった

たまたまか、
それとも新しい職場という緊張感からか...

が、そろそろ仕事に身体も慣れてきて、
緊張感も解かれてきて、
勤務中に副作用が
現れるようになったのかもしれない


そして気づけば、
今年もあと1か月か...

乳がんになってから、
「一日一日を大切に生きよう」
と思ってはいるものの、
なんだか月日の経つのが早い気がする



    2010年12月4日(土)

2日くらい前から居間のテーブルに、
白いシンプルな、縦型のお洒落なフレームが
置いてあった

フレームの中には、なにやら
これまた白っぽい服を着た人のような写真...

「誰なのだろう...」

と、若干気にしつつ、
が、親がいたのでいつも素通り

きちんと見たことがなかった


きのう、親がいなかったので、
その隙に近寄って見てみた

なんと、先日結婚した妹と旦那さんとの
ウェディング姿だった

2人とも純白の衣装で
自然な、とてもいい表情で写っていた

なにより、
とてもしあわせな感じが伝わってきた


...と、同時に、
途轍もない悲しさに襲われた

「こんなしあわせ、私には無理だ...」

その感情は、嫉妬にも似ていた




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≪私の記録 312≫ 自費出版のスポンサー探し / 乳がん患者、働きに出る ③


    2010年11月25日(木)

仕事をして身体を動かしているせいか、
それとも
たまたま楽なサイクルに入っているのか、
薬の副作用をほとんど感じない

働きはじめて間もないので、
まだ身体が慣れていないのと
気が張っているせいもあるのだろうけど

まぁ、身体を動かすことは、
きっといいのだと思う



今日、出版協会を立ち上げたIさんから
メールが届いた

なんでも、
『乳がん体験記』出版のスポンサー探しのため、
企画書を持って
伝手のある金融機関を回ってくれたらしい

自費出版にはそれなりのお金がかかる

少しでも私の出費が少なく済むように
配慮してくれてのことだ

なんともありがたい


Iさんは、
「感触は、半々」と云っていた

どうなることやら...

結果をもらえるまでは
少し時間がかかりそうだ

とりあえず、“年内出版”の夢は消えた...



    2010年11月26日(金)

休憩もなく、
お昼も食べさせてもらえず、
勤務時間も
面接時の話とはまるで違う

早出・残業がほとんどで、
まともに帰れたことはない

ひどいときは、
2時間以上余計に働かされている

もちろん、休憩、お昼なしで
6~7時間働き尽くめ

こんな状況で、長続きするわけもなく...

頻繁に“従業員募集”が出ていた理由が
わかった気がする

生活リズムもめちゃくちゃになってしまった

こんなはずではなかった...

早く見切りをつけたい

身体がもたない

でも、お金ない...




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≪私の記録 311≫ 乳がん患者、働きに出る ②


    2010年11月21日(日)

乳がんを隠しながらの仕事――


左腕には力が入らず、
動きも機敏にはならず、
重いものを持つことすらままならない

小さな掃除機でさえ、
扱うのがやっとだ

歯痒い...

これが現実か...

まるで別世界に迷い込んだような感覚だ


きっと今の私には、
2つの世界がある

ひとつは“がんサロン”

そしてもうひとつは、
“一般の生活”


当然、『がんサロン』は隠しごとなく、
病気のことはすべてぶちまけられる

だから“居場所”を感じることができる

でも現実の世界は虚偽の世界

嘘をついて生きている


元には戻れないことを知った

仕事をすることで、
自分も“普通の人”になろうとしていた

いや、“普通の人”に近づくための
第一歩だった

でも結果は、
見事に打ちのめされた気持ちだ


今年の3月、
ファイナンシャルプランナーさんの
選挙のお手伝いをしたときも、
健常者との隔たりを感じてしまった

もちろんその壁は、
自らが造り上げているに過ぎないのだが...


周りには迷惑かけるけれど、
カミングアウトしたほうが自分は楽になれる

それは
わがままなことなのかもしれないけれど

でも、そのほうが
周囲も理解してくれて
円滑とまではいかないにしても
うまくできそうな気がするのだが...

いや、それはやはり、エゴか...


もし、逆の立場ならどうだろう...

病気のことを話してもらったほうが
いいような気がする

...いやいや、
それは私自身が乳がんだから
そう思うだけかもしれない

「私、がんなんです」

なんて聞かされたら、
一般のひとはきっと引く

ドン引きだ

しかも、どんな反応をしたらいいのか
わからないだろう

これからどう接していいのかも...




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≪私の記録 310≫ 乳がん患者、働きに出る ①


    2010年11月17日(水)

『第22回 がんサロン』の日

今日のサロンは、スタッフは、
サロンを立ち上げた
ソーシャルワーカーさんしかいなかった

いつもは看護師さんが数人、
必ず来ている

こんなことは初めてだ

さすがに22回目ともなると、
「もう患者でやってくれ」
という感じだろうか

それでなくても看護師さんたちは
本業で忙しいからなぁ...



「この先の人生に
 なにがあるのだろう...」

と、ふと思った

たとえば10年後

子どももいないし、
私は独り淋しく過ごしているのだろうか

“子どもが成長していく楽しみがない”って、
人生の中で考えたこともなかった

“子どもを産むのは当たり前”だと
思っていたから




    2010年11月18日(木)

勤務初日

飲食店にもかかわらず、
お昼さえ出ない...

長年、外食に携わってきたが、
通常は賄いが出る
(給料から天引きされる会社もあるが)


驚きだ...

当然、休憩時間もない


こんなんじゃ、身体がもたない

それでなくても今の私は、
食生活に難があるというのに



そう、
10月22日の金曜日以来、
未だに私は“家庭内サバイバル”状態

両親とは
なるべく顔をあわせないような生活を
続けている

今の私の状態で、
「出ていけ!!」と云われたということは、
もう棄てられたも同然

私自身は、勘当されたと思っている

この心の傷は、きっと消えないだろう


親に棄てられる――

切なく哀しい現実だ...


いや、子どもの頃に、
「あんたなんか産まなきゃよかった」と
云われたこと自体、
すでに棄てられたも同然なのだが...





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≪私の記録 309≫ 私は“運が強い”のか?


    2010年11月16日(火)

先週の血液検査の結果を聞くために、
病院に電話をした

いつもなら、名前を云うと、

「佐藤りかこさんですね」

と、
看護師さんや准看護師さんに確認をされ、
受話器の向こうからカチャカチャと
パソコンのキーを打ち込む音が聞こえてくる

そして、画面に写し出された検査結果を見て、

「問題ないです」

と、報告してくれる


が、今回は、なぜか保留音

しかもかなり待たされた


「ヤバい。なにかあったのかもしれない。
 きっと、
 主治医の手が空くのを待っているんだ。
 看護師さんでは伝えられない“なにか”があって、
 直接主治医から説明されるんだ」

保留音が解かれたあと、
「もしもし」という声が男性の声だったら――


もう頭の中はパニック状態である



しばらく待ったあと、
受話器の向こうから「もしもし」という
声が聞こえてきた

『女性だ!!』

「このあいだの結果ですが...。
 問題ないです」


タメすぎだろ

超ビビった...

こんなに本気で
「ヤバい」と思ったのは初めてだ

しかもこの3週間、引きこもり生活

そんな中での採血

食生活も決して“いい”と云えるものではない

それに、仕事も決まった矢先

私のこれまでの運命を考えると、
ここで病気に阻まれるのが恒例だ



「私の人生、
 本当にとんでもないことばかり...」

そう思って生きてきたけれど、
でも、よくよく考えてみたら
強い運を持っているのかもしれない

なんだかんだ云いながら、
そのときそのときの危機を乗り越えてきている


いや、それは誰もが同じなのかな

乗り越えられなければ、
死んでいる...ということになるのか?


まぁ、“強い運を持っている”と信じよう

そう思うことで、
救われることがあるかもしれない


私のような人間でも、“運”って
あるんだなぁ...

そう考えたら、
運だけでここまで来たような気がする

ただ、乳がんになったことは、
逃れられなかったけど




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りかこプロフィール

★2009年5月より
医療機関開催“がんサロン”発行による『がんサロン通信』にて、体験記・エッセイ執筆

★2010年9月
市広報にて体験記掲載

★2011年8月31日
乳がん体験記『4分の3の乳房(ちぶさ)』書籍自費出版

★2012年1月21日
講演『乳がん闘病記 ~「ありがとう」と「感謝」の気持ちに至るまで~』

★2012年4月5日
FMオホーツク『乳がんについて』FPとの対談

★2012年4月
キーストーンアライアンス『百年シナリオ通信』記事掲載

★2013年6月より
医療サイト『ドクターズガイド』、ブログ掲載

★2016年9月14日
フジテレビ『めざましテレビ ~がんの見落とし~』ブログ紹介・インタビュー放送

★2020年3月
一般社団法人全国がん患者団体連合会『がん教育外部講師講座』修了(北海道教育委員会にがん教育外部講師として登録)

★2021年10月
『がん予防功労者表彰』(道・市・健康づくり財団・対がん協会4社共催)

★2023年5月
北海道がん患者連合会『がん教育講師派遣養成研修会』終了


★その他
講演、ピンクリボン運動、ピアサポーターとして活動中


★国家資格
1994年10月、調理師免許取得(食と健康を考える乳がん経験者)


★子ども虐待防止『オレンジリボン運動』サポーター

メッセージはこちらへ
乳がん履歴
★2002年3月3日(日)
 左乳房にしこりをみつける  

★2002年3月4日(月)
 視触診の結果“良性”と診断

★2006年11月8日(水)
 左乳房のしこり再受診  

★2006年11月15日(水)
 左乳房のしこり一部切除
  (外科的生検)

★2006年11月28日(火)
 乳がん告知      

★2007年1月11日(木)
 左乳がん手術

★2008年7月8日(火)
 局所再発の疑いで、
 細胞診・組織診(結果は良性)

★2009年2月17日(火)
 対側(右)乳がんの疑い
 (前年からしこりあり)経過観察

★2010年2月16日(火)
 右乳房細胞診(結果は良性)
手術・治療の経緯
★がん細胞の種類(しこり3つ)
 ・明細胞がん(クリアセル)
  (化学療法・放射線が効かない稀ながん細胞)
 ・非浸潤性乳管がん

 ・核グレード 2
 ・ER 90%
 ・PgR 10%
 ・HER2 (-)

★術 式
 ・腋窩リンパ節郭清
 ・乳房扇状部分切除(4分の1強切除)

★治 療
 ・放射線23回照射
 ・LH-RHアゴニスト製剤、
  4週間毎、2年間(25回)投与
 ・抗エストロゲン剤(クエン酸タモキシフェン)、
  5年服用
その他の病歴
★2006年5月
 子宮筋腫(漿膜下筋腫)核出術(10㎝の開腹手術)
  ・10cmの筋腫  1個
  ・8cmの筋腫   1個
  ・2~3cmの筋腫 4個

★2023年7月18日
 ・臼蓋形成不全発覚(先天性)
 ・変形性股関節症発症(両足)
母の甲状腺がん(乳頭がん・転移性がん)
★2006年11月(私の乳がん告知の約2週間前)
 甲状腺がん告知

★2007年1月(私の乳がん手術の2週間後)
 甲状腺摘出手術・頸部リンパ節郭清

★2007年5月
 術後療法(RI治療・1回)
  通常2~3回の治療が必要なところ、
  1回の治療で身体の中にがんがないことが
  確認される

★2009年5月
 頸部再発(切除手術を受ける)

★2012年5月
 肺転移確認

★2015年5月
 小脳転移確認

★2015年7月18日
 永眠

  ※再発後の治療法・治療薬なし
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子ども虐待防止「オレンジリボン運動」
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★また、2014年5月22日より、スマートフォンからのコメント投稿による誤送信を防ぐため、画像認証制を取り入れさせていただきました。認証英数字は“半角”での入力をお願いいたします。
 お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

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≪2015年9月2日より、コメント欄を閉鎖させていただいております≫

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≪2016年11月2日分より、コメント欄を開放しております≫

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≪2016年12月3日分より、コメント欄を閉鎖させていただいています≫


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